今は「Midnight Zoo」と「きみのもしもし」を掲載中
by hello_ken1
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カテゴリ:Midnight Zoo( 38 )

Midnight Zoo #38

 桜子は洗面台で化粧を落としながら、スッピンに戻っていく自分の顔を見つめていた。
 ぱっちりとした目、まつげのエクステンションは必要ない、と思う。
 唇も厚すぎず薄くもなく、ピンク色で、口角を少しだけあげるとかなりかわいい、と思う。
 洗面台のトップライトが肩までの黒髪を照らし、紫のカラーリングをしていることがわかる。
ー光が透らないと誰も気づかないわよね。
 桜子は首を振り、ヘアサロンでほんの少しだけ短くしてカラーリングを入れた髪に触れた。
ーまったく航はなーんにも気づかないんだから。

 先週、深夜に航がやってきて、わたしを抱いた。
 その後でふたりでシャワーを浴びた後、この洗面台でまた抱かれた。
 トップライトは点けたまま。

ーやることに夢中で、髪の毛なんてみてないんだろうな。
 そうは思っても、ここでの行為を思い出し、服の上から両手でそっと両方の乳房を包み込む。
 鼓動が早くなっているのを感じた。

 リビングに戻った桜子はテレビを点ける。チャンネルは特に選ばず、ボリュームはいつもの半分、目的もなく何となく。
 カーテンを開けると街の明りが見下ろせる。もう深夜だと言うのにまだまだみんな起きているんだろう。
ーどうしちゃったのかな、わたし。
 何かがポカンと空いている。急に心に寂しさを覚え、誰かと無性に唇を重ねたくなった。

 桜子はしばらく街明かりを眺めていたが、ため息をひとつつくとキッチンに踵を返し、冷蔵庫から残り物の総菜をテーブルに出した。次にキッチンのシンクの下に並べているアルコール類を確かめた。ジン、モルト、焼酎なんかの数本のボトルが並んでいる。すべて航がここにキープしているボトルだ。
ーここはお店じゃないっての。
 でも今はこのボトルを見るだけでも、何故かほっとした。
 そしてその中から一本のジンを手に取り、野菜室にあった檸檬を絞り、氷を入れた。
ー確かに航が言っていたとおりだわ。冷凍庫でキンキンに冷やしておくべきね。
 ジンのボトルは冷凍庫が狭くなるからとシンクの下に移動させていたが、航の言い分も分る気がした。
 桜子は目の前のグラスに少し首をひねり、
ーこれじゃ、きつすぎ。
 缶コーラを冷蔵庫の奥から取り出し、ジンに加えた。
 缶コーラも航の喉を潤すためにたまに買い置きしているもののひとつ。
ーいつのまにあいつはこんなに侵食してきているんだろう。
 テーブルでお手軽ジンカクテルを喉にとおすと、ふと桜子は思った。

 総菜をつまみに、ジンを口にしながら、目的もなくテレビを見ている。
 今夜は仕事もそこそこに終らせ、ウィンドーショッピングで数店のショップを巡り、なんとなくモスバーガーを夕飯にして、ふらふらと帰宅した。
ー何かが足りない。こんなんじゃないよ。
 桜子は足りない何かを見つけようと、総菜を一口、口に運んだ。

(続く)
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by hello_ken1 | 2010-03-07 11:22 | Midnight Zoo

Midnight Zoo #37

ーねぇ、桜子さんがいなくなったら、どうなるの。
 耳の奥に直接響いてくるような声が聞こえた。
ー航さんはどうなっちゃうのかな。
 隣では瑛太とひなのが少しだけふたりの世界に入っている。
「えっなになに」
「だからね」
 そんな小声の会話が左の耳に届く。
 そして耳の奥、頭の中に聞こえてくるのはふたりとは違う静かな響きだった。
ーだって航さんは桜子さんに対してどこか距離があるように感じるもの。
 航は目をつむって、ホットウィスキーから切り替えたマティーニをそっと口に運ぶ。
ーそこのふたりのような他愛もないじゃれあい、あそこのテーブルのカップルのような恋人たちの空気、そんなのが航さんと桜子さんには感じられない。
 そうかも知れないな、航は桜子との関係を少し思い出してみた。
 気づいたらそばにいた。
 会いたくなったら、時間に関係なく会いに行っている。
 部屋の鍵の場所、冷蔵庫の中身、シャワーの使い方、何一つひっかかることなく自然にそばにある。
 楽しいこと、つらいこと、何も具体的な話を聞かなくても、その日のキスですべてがわかる。
 居て欲しいとき、気づいたらもうそばにいる。
 じゃれあわない、醸し出す空気はない。
 でも、あうんの呼吸。
 自然に話した内容が、そっと差し出した手が、いつも重なり合っていた。
 ラブラブのカップルと比較すると、みんなは桜子と自分の関係がどこか距離のあるように写るのか。
ーそんなふうに桜子さんも思っているのかな。
 航は静かに目を開けた。
ーほんとはもっと、そこのふたりのようにたまにはじゃれあいたいんじゃないのかな。
「今さら」
 航はほとんど唇を動かさずに、その響きに応えた。
ーだって今までそんな話をしたことないでしょ、桜子さんと。
 瑛太とひなのはすでにふたりの世界に入っていた。
 航にはふたりの会話が遠い彼方でされているように、聞き取れない。
ー桜子さんはしたがっているかも知れないじゃん。
 航がカウンターでうたた寝をしている客の隣に腰かけている女性に顔を向けると、その女性はじっと航を見つめていた。
ーわたしがここにいるって、分ってたくせに。
 立ち上がったその女性は半透明な身体で、そして彼女の動きに誰も気をとめる者はいなかった。まるでその女性と航の間だけ時が動き、みんなの時は止まっているかのようだった。
ー航さんはどうなったゃうのかな。
「晴香は桜子に何かするつもりなのか」
ーわたしは何もしないわ。したとしても何も言わない。きっとすぐ航さんはわたしを疑うんだろうね。でもわたしは何もしない、ほんとよ。だって航さんが桜子さんに何かしているんだから。そうなんだよ。
「え」
ーもうしているんだよ。今ここに、いつもと違うお店で、3人で会っている事自体、航さんはすべてを壊し始めているんだから。

(続く)
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by hello_ken1 | 2010-03-07 11:22 | Midnight Zoo

Midnight Zoo #36

「終電に乗ってご登場」
 瑛太が笑いながらカウンターから手を振ってきた。
「おそいぃ」
 ひなのの笑顔もくったくがなかった。
 航はコートを入口横のポールに掛けると、すべりこむように瑛太の右隣りに座った。
 ひなのは入口から遠い方、瑛太の左隣りからカウンターに左頬をつけるような仕草で笑いかけてきた。

「マスター、ホットウィスキー」
 冷たい頬に両手を当てながら、航はオーダーをすませた。
「おいおい、何かいつもと違うな」
「そうよ。変」
 今度は出されたホットウィスキーを両手で包むように口に運んだ。
「おっ温まるなぁ」
 瑛太とひなのはそんな航をじっと見つめ、航の次の言葉を待っていた。
「変じゃないよ。いつもと変わらない」
 そして香り立つウィスキーをまた口にした。
「でも、たまには少し変化をもたせてもいいだろ」
「それもちょっと意味深だろう」
 瑛太は間髪を入れずに言葉を返した。
 ひなのもそれに続く。
「そうよ、そうよ。桜子さんもいなくて、いつものお店でもない。絶対、何か変。実は何かあるでしょ」

ー終電も終ったばかり、夜はまだ長い。
 航は遅れてきたせいでアルコール分量的にふたりに出遅れた分を取り戻すべく、2杯目からはモルトウィスキーをストレートで頼んだ。
「やっぱり変だぜ。いつものようにジンのオンザロックにしないのか」
 マティーニをオンザロックで飲んでいる瑛太が、ライトに照らされているストレートグラスに首をかしげる。
「でも、きれいね。その琥珀色」
 航の目の前からグラスを取り上げると、ひなのは自分の目の高さにグラスを持ち上げ明りにかざした。
ー確かに綺麗な色だ。

 3人でなんやかやととりとめのない世間話に花を咲かせているうちに、店内はひとり去りふたり去りしていた。カウンターのひとりは半分うたた寝をしているようで、唯一のテーブル席のカップルは自分たちの世界を醸し出していた。
「ちょっとお手洗い」
 ひなのが立ち上がったタイミングで、瑛太が少しだけ航の方に身を入れ、誰も聞く耳を立てないだろう今の店内なのに、小声で話しかけてきた。
ー何があった。
 航はその言葉を待っていた自分を感じた。
 自分から言い出すべきなんだろうけど、何となく言い出せずにいた自分を認めた。
ーひなのちゃんのところに最近、以前のように深夜に人影は現れなくなってるんじゃないか。
 瑛太は少し驚いたように目を見開き、
ー確かに最近は話は聞かない。聞き出して思い出させてもよくないので、俺の方から聞き出そうともしていない。でも。
ーでも、たぶん現れていないと瑛太も感じているんだろう。
ーそうだよ。
ーしばらくは現れないと思う。もしかしたらかなりしばらく。そしてもう現れなくなるかもな。
 瑛太はマティーニのお換わりをそっと目配せで注文すると、したり顔でまた航側に身を入れた。
ー何かあったんだろう。
ーあったんじゃないよ。続いてるんだ。
 瑛太の肩越しにひなのが戻ってきたのが見えて、航は言葉を止めたが、そこに立っているのはひなのではなかった。
 壁の木目が少し見えるほどの透明な存在感から、そこにいるのは晴香なんだと、それももう1人の晴香なんだと航は思った。
「おっ戻ったのか。次は何を飲む」
 航の視線を追うように左側に振返る瑛太は、戻ってきたひなのに話しかけた。
「何話してたの、ふたりでこそこそと」
「男だけのエッチな話さ」
 キャッチボールをするような恋人同士の会話、そのふたりは紛れもなく瑛太とひなのであり、もう1人の晴香はすでにそこにはいなかった。
「航さんがぽかんとしてる」
「そんなことないよ」
 そう言ってグラスに口をつけ、航が何気にカウンターでうたた寝を始めていた客に視線を流したとき、その隣にはさっきまでいなかったはずの女性がひとり腰かけていた。

(続く)
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by hello_ken1 | 2010-03-07 11:21 | Midnight Zoo

Midnight Zoo #35

 その晩、遅い時間に航は瑛太と待ち合わせをしていた。
 いつものバーではなく、顔見知りがいないバーを選んでみた。
 いつものバーでもそれほど深い知り合いがいるわけではなく、会釈程度の知り合いくらいしかいないはずだが、何気にお店を変えてみた。
 小さな蝶の羽ばたきが地球の裏側で台風を起こす、最近航が電車の中刷りで目にした一文。そうかも知れない。だったら身近な何かをほんの少しでも変える事によって、何か思いもつかない変化が起こるのかも知れない。安直だとは思ったが、航は試しに今夜のバーを変えてみた。即効性なんて期待はしていない。ただ気分の切替えにはなるだろう。

「悪い、もう少し遅れる」
 航はいつもより遅い時間で瑛太と待ち合わせをしたにも関わらず、また地下鉄の中にいた。電車が途中駅に着くタイミングで携帯からメールを送った。
 メール送信ののち、ひとつのめの駅についても、ふたつめの駅でも瑛太からの返信は確認できないでいた。
 終電近い地下鉄はほろ酔い気分の乗客が少しずつ増え始め、歓楽街の駅を出る頃にはそれなりの混雑となっていた。
ーあれ。
 航の斜め前で、電車のドアに軽く押し付けられるようにして携帯を覗いている女性の横顔を見たとき、航は不思議な感覚に包まれた。
 そこにいる女性の輪郭のはっきりとした眼、ちょっと小さめのでも形の整った鼻筋、そして淡いピンクの清涼感のある唇、すべてが晴香のそれに酷似していた。
ーもうひとりの晴香が姿を見せるには早い時間帯なんだけど、じゃあリアルの方かな。
 最近、現実と異体験の境がグレーになってきてるんじゃないかと、航はたまに感じることがある。そんなときに感じる足元が数センチ地上から浮いている、目の前のものに触ることができないんじゃないかという、そんな不思議な感覚が、今この電車の中で航を包んだ。
ー目が合わないかな。
 目が合えば、その女性の反応ですべてが解決する、自分がこんな感覚になっている以上、相手の反応に頼ろうと、航は思った。
 そんな思いで、テレパシーでも送り込むように、航は押された身体をドアに任せるように立ちながら携帯を覗き続けている女性をじっと見つめ続けていた。
「大丈夫。お前はいつも遅刻するから、今夜は先にひなのを横に座らせている」
 次の駅に着いたとき、突然航の携帯が震え、瑛太からの返信を知らせた。
 ふいをつかれたように震えた携帯で多少慌ててメールを確認した航が意識をまた女性に戻したとき、まさに開いたドアの動きに合わせるように女性は顔をあげた。
ーそうだよな。ここは現実世界そのとおりなんだから。
 顔を上げて一度車内に目を向けた女性は晴香に酷似なんてしていなく、当然まったくの別人で、下車する人々の流れに身を任せるようにその駅で電車を降りた。
ー意識しすぎてるのかな。
 航はほんの少し安堵する気持ちを覚えながら、瑛太に返信を送った。
「もうすぐ駅に着くよ」
「今夜は3人みたいだけど、まっゆっくり飲もうぜ」
 瑛太の今度の返事は早かった。
 いつものメンバーに桜子だけ欠けている今夜。
 少しだけ何となく罪悪感を感じつつ、航は携帯を胸ポケットに仕舞った。

(続く)
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by hello_ken1 | 2010-03-07 11:21 | Midnight Zoo

Midnight Zoo #34

 晴香はベッドサイドに立っている半透明なもうひとりの自分をぼんやりと見上げていた。
ーおかえり。
 丁度もうひとりの自分が晴香自身に戻ろうとしたときだった。
 晴香の一言がふたりの間にほんの少しの時間を作った。
ー素直に受け取っていいのかなぁ。
ーさぁ、どうでしょうねぇ。
 その返答に半透明な晴香がくすりと笑った。
 そして、ベッドの中の晴香もそのちっちゃな笑いにつられて口元が緩んだ。
ーまた航さんとこ?
ー見てたんでしょ?
ー見てたんじゃなくて、見えてたのよ。でも、いいね、気軽に話せるようになって。そうやってどこにでも行けるってうらやましいわ。
 また半透明の晴香はくすりと笑った。ただ今度の笑いは何かを思い出しているようだった。
ーあなたが寝入ってから朝までって制限あるんだけど。正確には日の出か、またはあなたの目覚めまで、ね。
ーそうね。おかげさまでわたしは夢を見ない夜がなくなったわ。
 半透明な晴香は、目の前で半分眠っているはずの晴香の中に戻るのを少しためらった。
ー何が言いたいの?わたしを無くす方法が見つかったの?
ーあなたこそわたしの身体を独り占めしたかったんじゃないの?
 半透明な晴香は首を横に振りながら、そっとベッドの中の晴香に戻っていった。

 朝日が寝室のカーテンの色を外から明るくし始めている。その色をぼんやり見つめながら晴香はベッドから起き出し、ほんの今までここにも立っていたはずの自分と立ち位置を重ねてみた。
 その場所から改めてまだ自分の体温が残っているベッドを見下ろし、肩越しに朝日の気配を感じる。わたしのこの肉体を、昼間のわたしの時間までも自分のものにしようとしていたもうひとりの自分の雰囲気が変わってきたのを何となく感じた。
 以前のように挑戦的でもなく、また強気に昼間の晴香を否定していた最近までのもう1人の自分とは、印象が変わっている。現実の肉体はどうあがいてもひと つしかなく、虎視眈々とこの肉体を狙っていたはずなのに。肉体ごともうひとりの晴香が主導権を握って、昼間の、そうすべての晴香という時間とそれに関わる すべてのものを自分ひとりのものにしようとしていた。
「何が彼女をそうさせたんだろう」
 晴香はすでに答えがわかっている質問をあえて口にしてみた。口にすることでもうひとりの自分を理解しているのだと、少しでも自分に言い聞かせるがために。
ー元はこのわたしなんだから、同じ人に好意を抱くのは自然の流れなんだろうな。
 中途半端かも知れないが、今のまま昼と夜の別々の晴香が存在する方が幸せなんじゃないかと最近考えるようになってきていた。
ーきっともうひとりのわたしも同じように思い始めているじゃないかな。それに、、、
 せっかく仲よくなった桜子の彼氏を奪えてもまた自分はひとりになってしまう、桜子とひなのとの楽しい時間を思い出すと、航がそばに来てくれてもそれだけだと辛すぎると。

 目覚めの珈琲を入れて、部屋中に珈琲の香りを満たしながら、晴香は思っていた。
ーもうひとりの晴香を通せば桜子を失わず、航との時間を共有できるんだもの。
 それもいいのではないかと。

(続く)
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by hello_ken1 | 2010-01-17 10:31 | Midnight Zoo

Midnight Zoo #33

 桜子とのクリスマスの夜をすごした翌夜、航はひとり、初めて訪れるバーでグラスを傾けていた。
「何にいたしましょう」
「ジンは何がありますか」
 航は若いけど落ち着いた感じのするバーテンダーから勧められたジェネバをロックでもらった。

ーメリークリスマス。
 さっきまで口を少し開き吐息を漏らしていた桜子が、耳元でささやく。
ーメリークリスマス。
 うなじに唇をつけ、クリスマスの言葉を返す。
 桜子はまた吐息を漏らした後、くすぐったいと笑って航と向き合った。
ー何かいいことがあったみたいだね。
ーあのね。晴香さん、まだ治ってないの。もうひとりの晴香さんはまだいるんだって。
ーそれはいいことなの?
ーわからないけど、今のところふたりでうまくやっているみたいよ。何があったんだろうね。
 航は「わからないな」と答え、シーツに潜って桜子の右の乳首をかるく噛んだ。

 カウンターに8名が座れるだけのこのバーは天井も高く照明も薄暗い。背中側の通路もちょうど人が1人歩いて邪魔にならないほどの幅が確保されている。繁華街からも外れ、看板もなく、この場所を目指さないとたどり着けない、そんなお店だった。そして終電を途中下車しここに来た航は、航以外のお客もいなくひとり静かな時間に包まれていた。

 来てみたかったんでしょ。
 たまたまネットで見つけてね。この時間だったら入りやすいかなって。
 わざわざ終電途中下車する?
 タイミングってそんなもんさ。
 計画性がないのよ。
 言葉を音にすることなく、いつの間にか隣りにちょこんと座っている晴香と言葉を交わす。
 晴香は頬杖をつき、じっと航を見つめている。目を凝らすと晴香の身体越しに隣の椅子が透けて見える。
 航はグラスを傾けるたびに、そっとそんな晴香の存在を確認する。
 晴香さんときみがうまくやりはじめていると桜子から聞いたよ。
 そうね。だってひとつの身体なんだし。うばいあって、もしわたしが消えるようだともうそばにも来れないし。でもね。
 ん。
 航のそばにいたいのは、わたしだけじゃないのよ。晴香の方がきっと昔から航のそばにいたいと思ってたんだから。
 グラスを口元に運ぼうとした航の手が止まった。
 昔の晴香さんのことは記憶にないよ。
 だと思う。
 残りのジンを喉に通すと、航はここにいる晴香とじっと視線を重ねた。

(続く)
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by hello_ken1 | 2010-01-02 15:59 | Midnight Zoo

Midnight Zoo #32

 その日の夜も、3人はまたこのバーに来ていた。
 誰かが誰かを誘う、そんな集まり方じゃなく、ふらりとそのカウンターに座っているといつしか2人が並んでいて、気づくと3人で談笑している、そんな集まり方だった。
 たまには桜子とひなのは事前にメールのやりとりをして落ち会うこともあったが、晴香と予定してここで会うことはなかった。
「ねぇねぇ、あの口紅どうだった」
「ありがとうね。でもやっぱりあの色は桜子さんの色だって改めて感じたわ」
「そうなんだ」
「うぅん、大丈夫。だってきっかけのひとつだもの。まずは口紅でわたしなりの色を探してみる」
「なになに。わたしその話、知らない」
 2人のやりとりに、残り少なくなったホワイトレディをくいっと飲み干したひなのが割り込んできた。
「口紅がどうしたの」
「覚えてないんでしょ、ひなのちゃんは」
 ひなのはすぼめた唇を少しつきだし、マスターにホワイトレディのおかわりを頼んだ。
ーバリエーションで、サイドカーではいかがですか。
「あっ、わたしにもおかわりください。わたしはこのまま変えずにドライマンハッタンで」
「あの夜もそれだったね。えーっとわたしはトム・コリンズ。今夜はのみすぎないように」
 マスターは口元に少し笑みを浮かべながらやさしく頷き、3人のための仕事にとりかかった。
「あれから何回ここで会ったんだろうね」
「季節もクリスマスかぁ」
「まだ続いてる?」
 桜子のその言葉に、晴香は自分に起きている夜の現象を、ひなのは瑛太との関係を連想した。
「続いてるよ」
 そしてハモるようにふたりが答えたのには、桜子もふたりにも笑いを誘った。

 噛み合わない話も、そのズレや隙間をマスターのカクテルが上手に埋めてくれ、3人はそれぞれにそれぞれの話を都合の良いように解釈しながら、和気あいあいと時間はすぎていった。
ーもうひとりの晴香さんはどうしてるの。
 ひなのがカウンターに少しだけ頼りながらレストルームに行ったとき、桜子は晴香に顔を寄せそっと聞いてみた。
ーわたしが寝入るとまだ夜遊びしてるみたいよ。
 その言葉の響きには軽やかさが含まれていたが、晴香の視線は桜子から静かにカクテルグラスに移った。
ーひとつの身体を奪い合うことはもう心配ないの?
ーどうだろう。今のところは上手にシェアできるようになった気がするけど。
ー何があったの。聞いてもいいかな。
 晴香は桜子の問いかけに、胸の奥にチクリとするものを感じた。
 桜子は毎回心配してくれている。でもまだうまく説明できない。説明をひとつ間違うと、せっかくこうやって知り合いに、友だちになれたのに、すべてが壊れてしまうかも知れないから。
 わたしの分身はかなりの回数であなたの恋人に会いに行っているのよ、晴香はそんな言葉をドライマンハッタンで飲み込んだ。
ーひとつだけ言えることはね、ふたりとも消えたくなくって身体はひとつしかないってこと。それを独り占めしたかったんだけど、結局ふたりはひとりなんだからお互いの気持ちも言い分もわかっちゃうのよね。
「ふーん、そうなんだ」
 ひなのが戻ってくるのが視界に入った桜子は普段の話し方で話を締めくくった。
「なになに」
 ひなのは、よいしょっとカウンターに戻り、その戻り方はまた3人を談笑に戻した。

(続く)
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by hello_ken1 | 2010-01-02 15:57 | Midnight Zoo

Midnight Zoo #31

 それからしばらくの間、航は窓ガラスに映る女性と他愛もない話をした。いや、他愛もないのか、そうじゃないのか、ふたりにとってもしかしたら、もうどうでも良いことなのかも知れなかった。
 時折、その女性も笑みを浮かべているのが、航にもわかる。彼女の笑顔を感じるたびに航も優しい気分になれるのがうれしかった。
ーどこで彼女と知りあったの?
ー晴香?桜子?
ーどちらでも。
 晴香のことを話すと少しややこしくなる気がした。
ーじゃ、桜子とはね、、、
 窓ガラスの彼女が身を乗り出してきたような気がした。
ー興味あるのかい。
ーだって人と人が知り合うのってさ、俗っぽいかも知れないけど、ひとつの奇跡だと思うよ。すれ違うだけの人、目が合ってもそれっきりもあるし、言葉を交わしても記憶にすら残らないときもね。
ーそうだね、知り合うのって、すごいな。
ーそして続くとか、続けるとか、もっとすごいと思う。そのためのエネルギーや時間を惜しげもなく使うんだから。限られた時間の中で、大事なエネルギーをその関係を維持するためだけに使うんだから。
ーうん。だから自分にとってその相手が大切な人になっていくんだろうね。
ーそういうことを経験してみたいんだ。
 ぽつりとその子が言った。
ーまだそんなことに出会っていないもの。
 大丈夫だよ、いつかそのうち、近いうちにそんな状況にばったり遭遇するよ。
 航はそう言えないもどかしさを飲み込んだ。
ー晴香と仲良くやっていけるといいのにね。
 彼女はちょっとだけ冷笑した。
ーわたしが居たことの記憶はずっと残るかしら。
ー忘れようとするかも。
ー正直じゃん。
 何か手はないものか、何かしてあげることはないものなのか、手は差し伸べられないのか、
 航は胸に酸っぱいものが湧き上がるのを感じた。
ー珈琲入れるよ。
 航がソファから立ち上がり、窓ガラスにもう一度視線を向けると、もうそこには彼女の姿はなかった。
 窓ガラス越しには白み始めた風景が見えた。
 数歩窓ガラスに近づくと、
「ありがとう」
 指で書いたような文字が窓ガラスに残っていた。
ーありがとう、か。
 結局これから自分は何ができるんだろう、航はそう思いながら書かれた文字を口にしていた。

(続く)
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by hello_ken1 | 2009-11-29 16:11 | Midnight Zoo

Midnight Zoo #30

 桜子から公園で聞いたあの子の気持ちを、航は窓ガラスに映るこの女性に伝えようと思った。
「でもさ、あの子、藤崎晴香もその一歩を自分から踏み出そうとしているんだぜ」
 窓ガラスの女性の表情が変わったように航は感じた。
「現実の自分の存在をどうにかして周りに知ってもらおうとしているのは、きみも知っているだろう」
ー知っているわ。
 苛立たしい感情が伝わってくるかと、航は想像していた。
 が、窓ガラスに映っているのは寂しそうな表情だった。
ーだって、まだわたしたちはふたりとも存在しているんだから。それに母体はあの子の方だし。
 ため息が聞こえた気がした。
ーあなたの彼女の真っ赤な口紅のことでしょ。
ーちょっと思い出してみてよ。不思議だと思わない?
 航は視線を窓ガラスからそらし、あの夜のことを思い出してみた。
ーそんな考えなくても、簡単よ。
ー助けてと言いたいのはあの子。でも鏡に映っていたのはわたし。わたしはあの子と入れ替わろうとしている。助けてなんて言うわけないじゃん。ましてや彼女の口紅で鏡に助けてなんて書かないわ。つじつまが合わないでしょ。
「少なくともふたつのことが考えられるけど、ぼくは」
ー聞きたくないわ。
「知っているんだろ」
 窓ガラスの女性が視線を反らしていた。そして何も答えようとしないし、答える気もない、そんな雰囲気だった。
「もっと複雑かも知れないけど、簡単なことだけでもふたつだよ」
 航は勝手に言葉を続けた。
「桜子の部屋へ飛んできたきみを使ってあの子は自分の気持ちを伝えさせた。伝えさせただけじゃなく実際に口紅で鏡に文字を書かせたんだ。たぶんきみが気を抜いた一瞬か、もしくは意識の隙間をぬったか」
「でも、もうひとつはもっと簡単」
 窓ガラスの影が揺れた。
 航は優しくゆっくりと言葉を続けた。
「きみはぼくに話しすぎたのかも知れないね」
「きみ自身も助けて欲しいんだろ」
「きみはあの子のことが好きで、でもあの子はそれに気づいてないんだろうね」
「好きだからこそ助けたい。でもそれただと自分が消滅するかも知れない。自分の意識がいつしか芽生えちゃってるから自分を消滅させるなんて想像もしたくない。そうじゃない?」
 窓ガラスの表情が揺れている。
「だからもっと簡単って言ったんだよ」
ーそうかもね。
「悪びることは簡単かも知れないけど、自分に素直じゃないから心が疲れるよね」
 窓ガラスの女性がうつむき加減で首を横に振っている。
「きみがあの子を一番助けたいって思っている。それだけだよね」

(続く)
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by hello_ken1 | 2009-11-21 14:35 | Midnight Zoo

Midnight Zoo #29

 重苦しい公園の空気、航も桜子も感じていた。そして目の前に拡がる公園に対して身構えるように桜子は航の腕をぎゅっとつかんだ。
「気のせい?気にしすぎ?」
「いや、そうじゃないよ、たぶん桜子と同じことを感じていると思う」
 航は桜子に左腕をまくり上げて見せた。航の左腕には鳥肌が立っている。
 桜子はその腕を目にすると、唐突に、でも肩の荷が下りたように夕べのことを口にし始めた。ただ桜子も、そしてその話しに耳を傾ける航も公園の入口から一歩も中に入ろうとしない。とくに桜子の視点は公園の中に向いたまま、そのまま淡々と話し始めた。それは航に話して聞かせているというよりも、レコーダーから期せずして古い音声が流れ出したような、誰に向って音が鳴っている、何のために再生が始まったのかわからない、声と言うよりそんな機械的な音だった。
ー桜子はどこを見て話しているんだ?
 航は公園の中をじっと見つめながら話し続ける桜子の横顔を見つつ、それでも桜子の言葉を聞き漏らさないように聞き入っていた。今ここで「桜子、どうしたんが一体」と月並みな台詞で桜子の意識を自分に戻したとしてもなんにもならない、航はそれだけは自分なりに確信していた。とにかく情報をひとつでも多く手に入れないと、それからじゃないと今の桜子も楽にしてあげられないし、鏡の中のあの子もきっと救えない。だから航は平常心を装った、桜子が話すのは当たり前のような表情で桜子の話に耳を傾けた。でも航は桜子の手を握っている右手の力を少しだけ強めていることに気づいていない。

「ずっとひとりだったの」
 航は口をはさまないように聞いていた。
「好んでひとりでいたいわけじゃないのよ」
「幼い頃母親や父親との間にあったことがトラウマになっていると思うの」
「それがきっかけで夜いろんな人に会えるようになったんだ」
「最近はそれが怖くなってるんだけど」
「いつのまにか自分が自分でコントロールできなくて」
「そのうち自分じゃなくなるんじゃないかと」
「自分がここにいることを、ここに存在していることを覚えててもらいたい」
「わたしの存在に気づいて欲しい」
「知り合いにならなくてもいいの」
「その子知ってるよ、見たことあるよ」
「そのくらいでもいい」
「でも、少しだけでも話せて、やっぱり知りあいになって、輪に入れてもって、そして連絡を取り合えるような友だちになれれば」
「だからあなたのその口紅、わたしもしたいなぁ。だってとっても綺麗で印象的なんだもん」
「わたしがつけてもみんな振返ってくれるかなぁ。綺麗に見えるかなぁ」

「航、痛い」
 航がその声に我にかえると、桜子がつないだ左手を航の目の前まで持ち上げていた。
「痛いよ、航。手をつないでくれるのはとってもうれしいけど、ちょっと強すぎ、手が痛いもん」
 桜子がちょっと困ったような表情で、そっと包んでねと言っている。
「ごめんごめん」
 航はつないだその手の力をそっと緩め、同時に桜子を自分の胸に引き寄せた。
「ありがとう」
「何、どうしたの航、、、はずかしいよ」
「少しだけ見えた気がしたんだ」
「何?何?」

 いつしか公園では子供たちが走り回っていた。若いおかあさんがその子供たちを優しく見守っている。笑顔で歩いているカップルも見える。ベンチではおじいさんがおばあさんと日向ぼっこをしているようだ。
「こんなとこでいちゃつているー」
 少年が唇を重ねた航と桜子をからかうように公園に飛び込んでいった。

(続く)
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by hello_ken1 | 2009-11-01 10:19 | Midnight Zoo