今は「Midnight Zoo」と「きみのもしもし」を掲載中
by hello_ken1
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カテゴリ:B.O.D.Y.( 17 )

B.O.D.Y. #17



sunset, originally uploaded by hello.ken1.

ー意識だけの涼子は体を自分以外の者に使われるのを拒んでいる。そして体を持つ涼子はもうひとつの意識にこの体を支配されるのを拒んでいる。ふたりは拒みあっている。結局、意識だけの涼子が体を滅ぼそうとしている。
 祐二は抱きしめながら意識だけの涼子の抵抗を切り捨てることへの躊躇を覚えた。
ー彼女は正しいかもしれない。自分の意志で入れ替わりを希望し、そして再びそれを取りやめる。でも対象になった今の涼子はどうなる。つかの間の違う世界を経験しただけか。そして望みもしないのに消滅する恐怖を味わうことになる。知らないなら知らないですむ消滅する恐怖。この涼子はふたりともその恐怖を味わうことになる。
ー祐二、お前は誰を救おうとしているのか、どの涼子を救おうとしているのか、二人の涼子か、それとも以前の涼子を救えなかった自分を救おうとしているだけじゃないのか、自分自身のためだけじゃないのか。
 意識だけの涼子の気持ちが理解できたように思えるにつれ、祐二は悩んだ。

「わたし、水にも戻れない」
「どうして水に戻るんだい」
「それを涼子が求めている。この体を彼女が欲しがってる。水がもともとのわたしなの。そのくらい覚えているわ」
「ぼくにはミーだったときの記憶がないんだ」
「上手に入替わったのね」
「祐二が最後まで希望したみたいだからね」
「わたしたち涼子はだめだったみたい」
「救えないかな、救いたいんだ」
「わたし自身だった水がもうなくなっちゃってるから、ふたりとも元には戻れないのよ」
「共存は」
「うまくいくはずないもの。誰でも自分の体は一人で使いたいものよ」

 水のように透明度を増す涼子、でも、床に吸い込まれることはない。
 どこまで透明度をますのだろう。
 どこまで姿を残すのだろう。
 祐二の胸から離れ、壁に背もたれる涼子。
 恐がっているのか、喜んでいるのか。
 泣いているのか、微笑んでいるのか。
 祐二が手を差し伸べると、透明な涼子はゆっくりとした動きでその手を拒んだ。
 ただ、うれしそうな目元で。
 それだけははっきりと祐二にもわかった。
ーありがとう。
 二人の涼子の声が祐二の耳にこだました。
ー涼子はうれしいよ、祐二。こんなになっても祐二は優しいんだもの。
 祐二は首を横に振る、唇をかみしめながら首を振る。

 どのくらい時間は経ったのだろうか。
 オレンジ色の陽射しが部屋中にあふれ、優しく涼子を包んでいる。
 祐二はそのまま、透明になっていく涼子を見つめつづけた。

                    完
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by hello_ken1 | 2005-12-24 01:24 | B.O.D.Y.

B.O.D.Y. #16

 翌朝早く、祐二は涼子のいる自分の街に戻ってきた。
 次の休みには必ず帰省すると母親に告げ、父親にもその旨伝言を残し、実家を後にした。実家を離れてこの街に戻るまで祐二の脳裏には消滅する涼子の姿が幾度となく思い出された。
 あのときの涼子を救うことはできなかった。どんな形であれ二度も涼子を失うのは嫌だ。涼子が自分から離れて行ったとしても、どうであれ、涼子の意識と涼子の姿をしたものをこの世界から消滅だけはさせたくない。祐二はあせっていた。
 しかし、この街に戻ってくると祐二には涼子のイメージが湧いてこなかった。実家で聞いたような激しい声が祐二にぶつかってこない、祐二に助けを求める強い意識がつかめない、存在のかけらすら感じない。祐二は喉に渇きを覚えながら足早に涼子のマンションに向かった。
「生まれたままの姿で一生を過ごせるものなんていないのよ」
「みんなどこかで入れ替わってるんだから。大多数が忘れているだけなんだから」
「あなたを必要としている人がいるみたいね」
「何があっても親子にはかわりないの」
 母親の言葉が祐二の脳裏をよぎった。
 そう、涼子の入れ替わりも受け入れなくっちゃ。涼子がぼくを必要としてるんだ、涼子はまだぼくを必要としている。きっとぼくらの関係はまだ変わってないんだ、何があってもぼくらの心に変わりはないんだ。言い聞かせるように祐二は足を速めた。

 マンションの涼子の部屋の鍵は不用心にも開いていた。
 以前の涼子ならこんなこともないだろう。でもこれが今の涼子なんだ。受け止めるんだ、存在している涼子自身を素直に受け止めるんだ。祐二は、そう自分に言い聞かせ、液体となり床に吸い込まれていった涼子の残像を振り払い、奥の部屋に進んで行った。
「ゆうじ」
 力のない声だった。その声はもはや声ではなく、意識に直接語りかけるように祐二に届いてきた。そして泣き出しそうな顔で祐二を見つめる涼子が部屋の片隅にいた。その場所は床に吸い込まれていった涼子が最後にいたところ。まだ今の涼子は姿形を十分にとどめているとはいえ、吸い込まれていった涼子もこの過程を経たことが祐二には容易に想像できた。姿をとどめず塊となった涼子の言葉が瞬時によみがえった。
「ゆうじ、ゆう、じ、なの?」
「ゆう、じ、なんで、しょ。わか、る、わ」
「わ、た、し、、もう、だめ、みたい、な、の」
「いま、まで、、、わが、ま、ま、ごめん、ね。あり、が、と、、、」
−でも今度は救うんだ。涼子をこの手で抱きしめるんだ。
「祐二、涼子がわたしの中にいる。わたしの中に潜んでる。わたしを水に戻そうと」
 下唇をかむ涼子が両手を祐二に差し伸べてくる。震える肩、震える両手、おびえる涼子がここにいる。
「もう、わたしが、涼子なん、だから」
 精一杯の涼子。
 祐二は滴るような水を体にまとった涼子を躊躇なく抱きしめると、言葉ではなく気持ちの奥底から涼子の心に語り掛けた。
−涼子、お前はもう戻れないんだ。知ってるだろう。知ってて、自分の代わりをこの涼子が演じているのが許せないんだろう。でもね、この涼子を水に戻しても、もうきみは元には戻れないんだよ。きみの意識もこの涼子と一緒になくなるんだから。
「いやぁ、この体はわたしのよ。もうわたしのものなんだから。誰にも渡さないんだから」
 涼子が震える。祐二は声を出した。声を出して抱きしめている涼子に話しかけた。
「涼子、意識を支配しろよ。意識ごとこの体を支配するんだ」

(続く)
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by hello_ken1 | 2005-12-19 00:15 | B.O.D.Y.

B.O.D.Y. #15



radial_01, originally uploaded by spoon242.

 祐二は依然変わらぬまま天井を見ていた。視点は定まらない、ただ静かに祐二を思い出していた。窓の外から聴こえる季節最後の蝉の鳴き声も道行く人の声も、祐二の耳には入らない。自分だけの世界で祐二を思い出していた。
ー結局祐二から昔の記憶はもらえなかったけど、それはそれでいいような気がするな。
ー入れ替わったことを祐二は悔やんでなかったし、恨んでもいなかったし。
ーうん、お袋はすべてを理解した上でこのぼくを育ててくれてたみたいだし。
ー祐二は祐二で、ぼくはぼくで、それなりに幸せにやってきたってことだ。
 いろいろ思いを巡らした後、祐二はそう思えるようになった。自分は確かに祐二からも母親からも愛されていたと。それはミーの肉体が朽ち、祐二の精神が消えても変わることはないことだと信じた。
ーぼくは祐二の希望でこの体と周りの人の愛情までをも手に入れることができたんだ。祐二が希望したから、希望して入れ替わった後もこの入れ替わりに関して恨みなんて抱かなかったから。祐二の気持ちが環境をもぼくにとってプラスに影響したに違いない。
 そこまで考えて祐二は、ふと涼子のことを思い出した。
ー涼子も入れ替わりを希望したにはしたのだろう。だからこそ今の涼子が存在しているはずだし。でも消滅した涼子は最後まで希望を貫いたのか、どうだろう。涼子はぼくみたいに瞬時に入れ替わることはできなかった。涼子の姿形が同時にふたり存在していた。どうして。涼子は最後まで涼子の意志のままだった。床に吸い込まれるその瞬間まで。そうだ、きっと涼子は入れ替わりを希望した後に、入れ替わりが始まるとそのこと自体を拒否したんだ。最後の最後まで拒否しながらいなくなったんだ。
 祐二の体が小さく痙攣を起こした。
ーでも、もし拒否しつづける意識までも余すところなく今の涼子が吸い取っていたら、彼女はどうなる。今の涼子が気づかないところで拒否する意識が増殖していったら。
 強い衝撃が体を駆け抜ける。
ー今の涼子も消滅する。
 祐二の体は大きく波打ち、両目の焦点は天井に固定された。心臓は大きく鼓動し、両手のひらは汗でびっしょりと濡れていた。
ー何か聞える。音が脳裏にぶつかっている。音が何度もぶつかってくる。優しい音、激しい音。開こう、音が聞えるようにゲートを開こう。

「祐ちゃん、そろそろ起きよう。自分で起きようよう、祐ちゃん」
 祐二が視点を天井から声のするほうに向けると、母親が祐二の腕をさすっていた。祐二の痙攣など知らないように、ゆっくりと優しく一途にさすっていた。
 優しい音、それは母親の心からでていた。
 母親は視線に気づいたのか、半信半疑でゆっくりと祐二を見つめた。
 祐二が無言で微笑む。
 母親もそっと無言で微笑み返す。ただ違うのは、母親の目は涙にあふれ、それは頬を濡らし、ひざをも濡らした。
 ふたりはゆっくりと静かに、そして気持ちの限り抱き合った。
「おかあさんはね、あなたを愛していますよ。忘れないでね」
 祐二の口は「ありがとう」と動いたが、震えて声にはならなかった。母親は何度も何度も頷いていた。

 そのとき、もう一つのぶつかってくる声、激しい声が祐二の耳に届いた。
「祐二っ」
ー涼子の声だ。祐二の全身が震えた。
「あなたを必要としている人がいるみたいね」
 母親は祐二を腕から離しながら、言葉を続けた。
「行きなさい。行ってその人を安心させてあげなさい」
 母親の優しい笑顔が祐二の緊張をわずかながら和らげてくれた。
「もう祐ちゃんは悩むことはないのよ。あなたとわたしは親子なんですもの。何があっても親子にはかわりないの。それだけは忘れないでね」
 この女性が自分の母親でよかったと祐二は祐二に感謝していた。

(続く)
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by hello_ken1 | 2005-12-11 03:19 | B.O.D.Y.

B.O.D.Y. #14



Thick Water, originally uploaded by Sweet Carolina.

「祐ちゃん、朝ですよ、もうそろそろ起きなさい」
 ドアが開き、割烹着姿の母親が祐二の部屋に入って来た。
 祐二は視点の定まらぬまま、薄目で天井を見ている。
「まだ、かなぁ」
 母親の後ろには父親も立っている。
「昨日は帰宅そうそうばたばたしたからな」
「お父さんがいけないんですよ。事情もよく飲み込めていない祐二を詰問するみたいに言うから」
「それはあれだ、俺はミーのことをはっきりさせたかっただけなんだ。お前にもそろそろわかってもらいたかったんだよ」
 母親は一呼吸置き、祐二を見つめ直し、父親に言った。
「わかってますよ」
 父親が先に祐二の部屋を出ていくと、母親は部屋の窓を開けレースのカーテンも開いた。午前中のちょっとだけ肌に涼しい風が部屋を通り抜けた。
 祐二の手を取る母親は昨日から気を失ったままの祐二に優しく話しかけ始めた。
「大丈夫よ、安心して。おかあさんはあなたを愛しています。忘れないでね、わたしはあなたのたったひとりの母親ですからね」
 天井を薄目で見ている祐二は心が温かいものに包まれ守られているのを感じていた。
−起きなきゃ、元気なのを知らせなきゃ。
 その祐二の感情に身体が言うことを聞かない。動かぬ体を持ったまま、祐二の感情はまた静かに沈んでいった。

 祐二が床に臥せ、3日が経とうとしていた。
「そろそろ医者に見せたらどうだ」
「もう少し待ってください」
「手後れになりはしないか」
「医者に変にいじられるのはいやです。もう少し」
「うぅん、今日一日様子を見てみよう。それでも目を覚まさなかったら、明日の朝には医者を呼ぶぞ。いいな」

 そのころ、祐二が帰省してからまだ数日しか経っていないのに、涼子の周りでは妙なうわさが飛び交い始めていた。
—ねぇ、涼子って最近あけっぴろげすぎない。
—そう、ちょっと前までのおしとやかさがないのよね。
—よぉ、お前、涼子に誘われたんだって。
—変なんだよ、肌がしめっぽいんだよ。
—髪の毛なんてさ、いっつも濡れてる感じ。
—食事してるとこなんてあんまり見たことないなぁ。
—水ばっかり飲むんだよね。
 涼子の耳に入ってくる噂もあればそうでないものもある。それでも涼子自身にとっては十分すぎるものだった。自分に素直に行動しているつもりの涼子。でも周りの反応は違っていた。
—微妙な外見の違いはごまかせても生活パターンはそうはいかないの?
—そんなに以前の涼子とは違うことをしているの?
—焦りがぼろを出しているかもしれない。
—確かに周りのみんなはこんなに体全体が湿っぽくない。
—そんなに違うの?
—どうして避けるような目で見るの?
 以前の涼子の染みを探すように、涼子は知らず知らずのうちに床を触りつづけていた。窓側近くの床、今となっては染み一つない。見事に涼子はこの世界から消え失せた。跡形も残さず。存在していた証しは現在の涼子だけ。
—わたしと入れ替わった涼子がこのあたりで吸い込まれていったはず。まだ何か涼子からの吸い取り忘れがあったのかしら。そんなはずはないわ。残らずわたしが受け取ったはず。わたしが涼子なんだから。
 蛇口から水滴が落ちる音がする。目覚し時計が秒を刻んでいる。普段なら聞えない音がやたらと耳に響いてくる。窓の外で子供が騒いでいる。車のクラクション。踏切りの遮断機。音が涼子を襲う、音の洪水に涼子の心臓が弾けそうになる。
「祐二っ」
 たまらず涼子が口にしたのはうっとうしいと感じていたはずの祐二の名前だった。わからなかった、なぜ祐二なのか。どうして今、祐二の名前が無意識に口を衝いたのか。以前の涼子が祐二に頼れといっているのか。
 でも、涼子にとって今はそんなことはどうでもよかった。現に心が祐二を必要としている、不安な状況が、不安な心が祐二を呼んでいる。
 涼子はひざを抱えたまま部屋の隅で震えていた。唇が震え、背中が振るえ、心が震えていた。
「祐二、はやく戻ってきてよ。はやく、ここに来てよ」
 自分自身でも体が濡れているのを自覚している。
—汗をかいてるんじゃない。きっと少しずつ元に戻ろうとしているんだ。わたしは戻りたくない。戻らされているんだ。きっとそうだ。涼子がわたしの中に隠れている。涼子がわたしを水に戻そうとしている。いやぁ。もうわたしが涼子なんだから。
 ひざを抱える涼子の周りは水をこぼしたように濡れていた。

 (続く)
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by hello_ken1 | 2005-12-04 18:21 | B.O.D.Y.

B.O.D.Y. #13



dinning, originally uploaded by hello.ken1.

 階段から足音が響いてくる。廊下をこの部屋に向かっているようだ。声も聞こえる。大声で説教しているのは父親。母親の返答は父親の声にかき消されて、祐二には聞き取りづらい。
「いつまでミーの死骸を家の中に置いとくつもりだ」
「お前が不憫だから口にしないでおいたが、祐二が戻ってきたからもう言ってもいいだろう」
「もうミーの死を受け入れて納得してもいいころだ」
 二人の足音はドアの前で止まった。
「ミーは死んでなんかいません。ミーは祐二なんです。祐二はわたしの子供です。子供がわたしを一人残して死ぬわけがないでしょう」
 母親の絞り出すような鳴咽がドア越しに響いた。
「祐二、入るぞ」

 夫に腕をつかまれ、強引に連れてこられた母親が急に静かになった。親父はそんな彼女を怪訝そうに見ながらも部屋中をとりわけベッドの周りに注意を注いでいた。
「ミーはどうした」
 親父の疑いの声。何を疑っているのだろう。祐二は不思議に思った。
「ミーの死骸はどうしたんだ」
 祐二は母親の表情を確かめる。彼女の目には夫も祐二も映っていない。うつろな表情で祐二の存在が消え失せていることを確信していた。
「どこにやったんだ」
 祐二の方が尋ねたい気持ちだった。
—まだぼくは記憶を受け取っていない。
「祐ちゃん、もう、あなた一人しかいないのね」
「入れ替わる前の記憶がまだなんだ」
 祐二のからだを抱きしめに母親が一歩一歩近づいてくる。
 親父がお袋に向って何か言っている。何万光年も離れた星から届く声。祐二にも母親にも届かない。
「ミーが死んだの。ミーがいなくなったの。誰もいままでそんなことは言わなかった。でも」
「でもさ、薄々知ってたんだろう。認めたくなかっただけなんだろう」
「ミーが死んだの」
 つっかえ棒のなくなった母親が祐二の体に触れてくる。
「あなたに会いたいなぁって。成長した息子に会いたいなぁって、思ったの」
 祐二は、幼い少女との会話に似ているなぁ、と思った。
「そうしたら次の日ミーが動かなくなってて。冷たくなってて。今度はミーの中の祐二まで」
 母親はミーの死を知っていた。自分のせいだと悩んでいたのか。祐二は母親を抱きしめた。震える母親を愛している気持ちを込めて抱きしめた。
「ミーは生きてる。ミーは生きてるってずっと自分に言い聞かせてたの」
 祐二は思った。ミーの肉体が死んだのはお袋とは関係ない、ただ偶然彼女のもうひとりの息子に会いたいという気持ちをもった日に重なっただけ。それよりもミーの精神の復活こそはお袋の愛情、死んではいないと自分に言い聞かせた成果。そんなお袋を悲しませないために記憶をぼくに渡そうとした祐二の精神。ミーの、祐二の精神が存在できたのはお袋のミーの死の否定なんだ。
「祐二、ミーの死骸はお前が片づけたのか」
 ぼくの帰宅を機にミーの死をお袋に認識させようと決心した親父はきっと正しいのだろう。親父もきっかけを待っていたに過ぎない。それはぼく。祐二は父親を憎む気持ちはなかった。
 しかし、すんでのタイミングが祐二にとってもミーにとってもよくなかった。まさに記憶を受け取ろうとしていたとき。ただ歯がゆい思いが一瞬、ほんの一瞬、祐二の全身を包んだ。
 とっさに、であろうか、母親は祐二を包むようにもう一度抱きしめた。祐二を一瞬でも支配した父親へのはがゆい感情をなだめるかのように、母親は祐二の耳元でささやいた。
「生まれたままの姿で一生を過ごせるものなんていないのよ」
 一呼吸置いた。
「みんなどこかで入れ替わってるんだから。大多数が忘れているだけなんだから」
 母親のその一言で、父親の執拗な問いかけが、祐二にははるか彼方に聞えてくる。母親のやさしい笑顔が祐二の視界を覆う。左手に親父の服を着た見知らぬ誰かが立っている。目の前には和服に身を包んだ母親がいる。母親は母親のままで祐二をやさしい笑顔で包んでいる。
 祐二の記憶はここでとぎれた。
「祐ちゃん、祐ちゃん」


続く
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by hello_ken1 | 2005-11-27 23:16 | B.O.D.Y.

B.O.D.Y. #12



Emma Inside 1, originally uploaded by Ballard Blog.

 しかし、そこにミーはいなかった。
 敷布団に窪みはある。ミーの気配も残っている。でもミーそのものは祐二の目には映らない。
「いるんだろ、ミー」
「いるよ」
「からだは」
「すでに朽ちてるよ」
「なんで成仏しない。どうしていなくならない」
「きみに会う前に成仏したら、一生きみはぼくになれない」
「ほんとにぼくはミーなの」
「そうさ。だってきみにはぼくと会う以前の、ここにもらわれてくる以前のこの家族の記憶はないだろう」
 祐二が触れるのを避けてきた自分の記憶。観覧車以前の完全な思い出。家族旅行の思い出。アルバムには残っているがどうしても思い出せない記憶。でも、ミーとの思い出、それだけは祐二には鮮明に残っていた。
「そんな中途半端な、不完全な祐二を残してこの世界からは去れないよ」
「ぼくがもともとミーなのは、誰が知ってるんだ。お袋は知ってるのかい」
「あぁ、お袋はミーがいなくなったときから知っている。わかってしまうのは仕方がないじゃないか。ミーが関わっている記憶以外はきみにはないんだから。でもそれよりもお腹を痛めて生んだ母親の直感だろうな」
「ほかには」
「きみは十分に順応性があったんじゃないのか。気づいているのはお袋だけだよ。気づいても半信半疑、そこにミーが戻ってきた」
「でも微妙にミーとは違っていたよね」
「入れ替わりの影響だろう。祐二のもともとの剛毛もさらさら髪になってたしね」
 祐二は涼子を思い出した。涼子の利き腕。確かに今の涼子は左右が逆になっている。
「でも、そんなん誰も気にしないよ。はじめはあれっ?って思ってもいつのまにか昔からそうだったと思うようになる。そんなもんさ」
 涼子と同じことを言っている。
 今の涼子も入れ替わり。今のぼくも入れ替わり。
 涼子は涼子のすべてを吸い尽くし、涼子の世界に違和感なくは入り込もうとしている。
 ぼくはただ思い出せない怖さで、かつての記憶に触れるのをずっと避けてきた。
 祐二は整理しようと試みた。
 親父はぼくを祐二だと疑わず、お袋はミーを見つけてきてもぼくをやさしく育ててくれた。つらかったかもしれない。本当の子供は猫となり、拾われてきた猫がお腹を痛めた子供の肉体にとりついている。
「感情が理解するまでにやっぱり大変だったよ」
「お袋のこと?」
 
 毎晩のことだった。洗い物がすみ、家族全員が入浴をすませテレビに夢中になっていると母親はミーと一緒に縁側に出ていた。
「ミー、あなたは祐ちゃんでしょ」
 ミーは母親の腕の中でその度のどを鳴らして耳をこすりつけていた。
「祐ちゃんがミーなのよね」
 夜空を見上げる母親の頬には時折光るものがあった。
「でも、祐ちゃんは二つに分かれたけれど、どっちもこうして今そばにいるのよね」

「お袋はお門違いの恨みをミーにもたなかった。ミーがぼくにとってとってもいい友だちだってことを知ってたからね」
「でも」
「うん、母親としては耐え難いよね」
「ああ」
「その上、下手したら息子の死に目に二度も遭遇するんだよ。間違いなく寿命の短いミーの肉体で一回はね」
「そしてすでに一回目は訪れたってわけか」
「そうとも言うし、そうじゃないかもしれない」
 ミーの肉体から解放された祐二の精神は、現在の不完全な祐二に過去の記憶を伝えるために意志の強さだけでこの世界にとどまっていた。宿題をやりたくなかったが為に飼猫と入れ替わってしまった祐二。何も宿題だけじゃない。その要素は随所にあったと元々の祐二は考えるようになっていた。
「お袋にはぼくの姿が見えるらしい。見えるっていうよりも、姿を感じるのかな。でも、そろそろ限界だろう。親父はこの部屋には入りたがらないけどミーの実の姿をここのところ見てないからね。親父がひとことミーは死んだとお袋に言えばお袋の細いつっかえ棒も折れてなくなるだろう。そのことを想像したくない。お袋の取り乱すのを見たくないんだ。人に言われて気づくってそんな辛いものはないよ。まぁそれでなくても長生きし過ぎなんだけどね」
 祐二にもミーの姿は見えないが目の前に存在しているのは確かに感じている。この感覚に過去の視覚がだぶっているのか。祐二はお袋が哀れにも感じられた。
「ぼくの存在をミーに託すよ。過去の記憶から今日までのこの家での記憶まで」
「そうすればお袋は」
「うん、息子の半分を失うことなくミーの死を受け止められると思う」
「そしてぼくは順応してお袋の完全な息子になれるのか」
「たぶんね。ミーの肉体がなくなっている今となってはこれがベストの方法だろう」
 祐二は思った。
 ミーの中の祐二も本当は元の人間の肉体に戻りたかったのだろう。それはそうだろう。それが本来の姿だから。ミーの肉体がなくなってなかったら。老いぼれの肉体が、死期を目の前に控えた肉体が今ここにしがみつくように残っていたとしたら。ぼくはそんな先の見えすぎている肉体に戻らされるのか。
 すでに肉体の存在しないミーが今の祐二の心の思いを聞き取り、すべてを理解しているような、そんな笑顔が祐二をつつんだ。目の錯覚でもない、そのとき祐二には確かにミーが見えた。
「そんな都合のいいことは起きないよ。結局、試せなかったけどね。お願いは一度きりってわけだろう、ふつう。神様もそんな暇じゃない」
「ぼくの思っていることがわかるの」
「きみの忘れている猫の、いや、きっと動物の能力のひとつじゃないかな。気持ちが読める。コミュニケーションの手段だろう」
 そして、ミーが動いた。
 祐二の足元に擦り寄ってきた。
「きみが来てくれたんで安心したよ。もうこれ以上、気を張ってここに」
 ミーの声が途切れた。いきなりテレビのスイッチを切ったような、そんな切れ方だった。フェードアウトではない。スパッと切れた。その瞬間から足元にも気配は感じない。祐二は心臓の鼓動が激しくなるのを感じた。視線を部屋全体に広げるが、ミーの気配はない。ベッドの上にもない。祐二は不安になった。記憶をまだ受け取っていない、なのに。部屋には呆然と立ち尽くす祐二だけが存在していた。
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by hello_ken1 | 2005-11-20 11:50 | B.O.D.Y.

B.O.D.Y. #11



mila and my coat, originally uploaded by Roweun.

 祐二の部屋のドアには猫の出入り用の小さな出入り窓が新たについていた。
−最近つけたんじゃないな、これは。上京した後、きっとミーのために付けたんだ。どうしてミーはそれほどぼくの部屋にこだわったのかな。
 祐二は自分では回答の出せない問いかけで頭が一杯になった。
 祐二がこの家にいるときはミーは決してこの部屋には近づかなかった。以前のミーとはそこからして完全に違っている。出入り窓があったとしても通ることはなかっただろう。
 そのドアが静かに開いた。
「やっぱり戻ってきたのね」
 そこには母親が立っていた。
−すこし痩せたのかな。色も白い。
 それが祐二の第一印象だった。
「夏休みでね」
「うぅん、わかっているわ」
「なんのこと」
「母さんはね、何も言わないから」
 母親はドアを開けたまま廊下まで出てくると、祐二を見、部屋に視線を移し、また祐二に振り返った。
「中であなたが待ってるわ。お入りなさい。母さんはもう疲れたから自分の部屋に戻ってる」
 母親がすれ違ったとき彼女の疲労が空気伝いに祐二に伝わってきた。疲労と言い切るにはあまりにも重い空気だった。
 祐二は母親が開けてくれたドアからそっと中を覗いてみた。窓際の自分のベッドにふくらみが見て取れた。
—きっとそこにお袋のミーはいるんだ。
 そこにいることがわかれば何ら臆病になる必要はない。
 祐二は自分に言い聞かせながら、かつては自分の安住の地であったベッドに足を運んだ。この時の祐二はかわいい小猫のままのミーを想像していた。

 窓際のベッドに歩み寄って行くと、祐二はその周りが懐かしい空気であふれていることに気がついた。空気の香りが、空気の肌触りが、空気の濃度がすべて、祐二には懐かしかった。
「ミー」
 祐二は、何も怖がっていない優しい声になっている自分を感じた。
「やっと来たね」
 ベッドのふくらみからミーの声が聞こえた、そう感じた。
「うん、気になって戻ってきたんだ」
「でも、会えると思ってた?」
「いや、意外だったよ。思い出をひも解こうとだけ思ってたからね」
 ふくらみが動く。そのとき、祐二は一瞬、身が固まる思いがした。
「こんなにミーが長寿だとは正直、驚いているよ」
 ミーは動きを止めた。ふくらみはそのままの形で固まっている。
「ミー、姿を見せてよ」
 身構えている。ふくらみの形が変わった。
 祐二は手元にあった椅子をベッドサイドに引き寄せ腰を下ろした。ミーのふくらみから緊張の糸が消えたのがわかった。
「長生きの理由を考えたよ。そしてどこかできみがぼくを生かしていると思うようになった。きみだけじゃなくぼく自身もそうしたくなった」
「ぼくがミーを?」
「正確にはミーがぼくをだ。祐二の体で生きているミーが、ミーの体にいるぼくをだ」
「祐二の体で生きているミー?ぼくのこと?」
「そう、人の体を持った猫」
 漠然としていたものが少しずつ晴れてくる。でも、祐二は晴れてもらいたくない気持ちも強く感じていた。ここまででこの部屋を出ればいい。何もなかったことにすればいい。そんな思いが祐二を包み込む。
「あのとき時間がなくてコピーできなかったぼくの、祐二の知識を取りに来たんだろう。完全な祐二になるためにね」
 わかっていたことかもしれない。ただ、自分がもともと人間ではなかったことを認めたくなかっただけなのかもしれない。認めると自分が自分でなくなる。そんな恐怖から逃げていただけかもしれない。でも、こうして立っているぼくは人ではないのか。
 祐二は自分が何をすればよいのか、分からなくなってきていた。
「わからないよっ」
 祐二は胸が苦しくなる恐怖を覚え、その恐怖を払拭するかのようにミーにかかっている掛布団を力任せに取り除いた。
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by hello_ken1 | 2005-11-12 15:05 | B.O.D.Y.

B.O.D.Y. #10



玄関, originally uploaded by hello.ken1.

 夏も終盤になり、朝夕の風がとき折り肌寒く感じるころ、祐二は夏休みとして田舎に帰ることを決心していた。
 この頃には涼子は以前の涼子ではなく、すでに新しい涼子が周りの友だちに溶け込んでいた。戸惑いがあったのは、ゼリー状の涼子を目の当たりにした祐二だけに思えた。確かに涼子が自信たっぷりに言っていたように、誰一人、右利きの涼子ましてや腿のほくろなど、気にも留めなかった。周りのみんながあえて気にしているとすれば、それは涼子と祐二の関係だった。
「喧嘩でもしてるのぉ」
「そんなことないよ、ちょっとだけ祐二が最近冷たいだけ」
「そうなの祐二」
「い、いや、、、最近の涼子にとまどっているだけだよ」
「変なの?わかんないなぁ。涼子はなんにも変わってないよ」
「うん」
「祐二がそんなんだったら、俺が涼子にアタックしてもいいわけ」
 曖昧なまま会話を続ける祐二。何も気づかない友人たち。そして、そんな祐二を見ながら勝ち誇ったような表情を裏に隠して微笑む涼子。
「でもさ、最近涼子はやたらと活動的になったと思わない。夏前まではさ、おしとやかな印象強かったじゃん」
 祐二のささやかな意思表示。無駄な抵抗。
「それってぇ、ふつう、性格が明るくなってよかったって言うんだよ。社交的になったって言うか。いいことだよ」
 みんな、新しい涼子の味方。
 涼子が覗き込みながら祐二に言う。
「夏暑かったから、祐二、疲れてるんだよ」
−まだ納得してないようね。あきらめてないって言うのかしら。
「夏休みもまだとってないし」
−しばらくいなくなったらどう。めざわりなのよ。
「田舎にでもちょっと帰ってきたら」
−わたし、猫は嫌いなの。
 みんなには決してみせない新しい涼子の高飛車な目つきもさることながら、祐二は自分とミーの記憶もたどってみたい強い欲望にかられはじめていた。
 ミーと自分、新しいミー、母親。
 そして、祐二は夏休みをとって帰郷することを決めた。

 実家に戻ってみると、母親は祐二の部屋にいた。父親の話だとここ二週間は祐二の部屋にこもりっきりだと言う。自分の部屋に行く前に父親と一言、二言言葉を交わした。
「ぼくの部屋に何があるの」
 父親は困り果てた顔つきで答えてくれた。
「何があるって言うわけじゃない。いるのさ。大往生寸前のミーがね」
 祐二は驚いた。ミーがまだ生きていた、母親のミーではあるが、ミーと呼ばれている猫には違いない。そのミーがまだいた。幼いころに母親がミーだと言って連れてきた小猫。母親にばっかりじゃれていたミー。
「なんでぼくの部屋なんだ、お袋の部屋もあるだろ。もともとお袋の部屋が住処なんだからさ」
「なんで?と言われてもなぁ。こればっかりは解らないよ。単にお前が上京してからはあいつの部屋ではなく、ずっとお前の部屋に住みついてたからな」
 祐二は階段を上りながら、親父の言葉に考えを巡らせていた。
—なんでぼくの部屋なんだ。ぼくが上京してからぼくの部屋。ずっとぼくの部屋。
 廊下の一番奥の突き当たりの部屋が祐二の部屋だった。それは変わっていない。階段を上ったところで祐二は立ち止まった。何があの部屋で待っているのだろう。自分の存在が恐かった。あの涼子は涼子の部屋で言った。祐二の覚えている、彼女との二人っきりの最後の台詞。
「よほど用心深かったのかしら、ねぇ、ミーちゃん」
 あいつはぼくのことをそう呼んだ。ミーちゃん。観覧車でのミーとの記憶。そのあとの断片的な記憶、祐二は混乱していた。
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by hello_ken1 | 2005-11-05 11:11 | B.O.D.Y.

B.O.D.Y. #9



Rain Drops, originally uploaded by Anuntij.

−ゆうじ、ゆう、じ、なの?
−えっ?
−ゆう、じ、なんで、しょ。わか、る、わ。
−、、、
−わ、た、し、、もう、だめ、みたい、な、の。
−りょうこ。
−いま、まで、、、わが、ま、ま、ごめん、ね。あり、が、と、、、

 突起物の痙攣は止み、祐二が突起物から手を放すと、塊全体に吸収され、塊自体の震えも止まった。震えの止まったゼリー状の塊は次第に輝く透明な水となり床の上に水溜まりを作った。
「今のはなんだ」
 祐二は不安から生じる苛立ちをあらわにした。
「この塊は何だったんだ」
 床の上の水溜まりをさしながら、涼子に詰め寄った。涼子は高飛車な微笑みでそれに答えた。
「だから、この、」
 指差す先の水溜まりはすでになく、目を凝らさないと解らないほどのしみが残っているだけになっていた。
「何のことかしらね」
 涼子は右手でまた黒髪をかき上げた。
「涼子をどうした」
「涼子はわたしよ。わたしが涼子」
「じゃあ、ここにあった塊は何だったと言うんだ。あれが涼子だよ。形は違ってもあれがぼくの知っている涼子だ」
 涼子が髪をすくった。
「涼子の真似をしてもだめだよ。彼女は、本物の涼子は左利きなんだから」
 興奮を押さえ、相手の弱点を指摘したつもりの祐二に、涼子はほくそ笑んでいた。
「そんなのに気づいて、気づいたとしても疑っているのは祐二だけよ。みんなそんなこと気にも留めないで、時がたてば、涼子は右利きだったんだ、って思うようになるものなの」
「それにね、もっと言ってしまえば、ほくろの位置なんかも全然逆よ。変えようもないほくろの位置がね。こっちの方が問題だと思うけど。でも、誰も気になんかしない。そんなものなのよ」
 祐二は涼子の右腿のほくろを思い出した。確かに左足を上に組んでいる目の前の涼子の太股にそれと同じほくろが見える。左腿にはほくろなんてなかった。
「そう、言われてやっと気づく程度なのよ。言われなければ、気づいても誰でも知らず知らずに自分の方の過去の記憶を修正しちゃうのよ。そうね、いい例が祐二の家族の人たち、とりわけ、お母さんかしら」
—お袋がなんだって言うんだ。
「そして、極め付けはあなた、祐二自身よ」
 祐二は一瞬虚を衝かれた。
—今、この涼子は何て言った。ぼく自身。
 足下で大地が揺れる気がした。自分が雲の上にでも立っているような気もした。握力も抜けていくような。
「見事よねぇ、飼い主の体をコピーしたにしちゃ。自分の記憶まで書き換えちゃうなんてね。よほど用心深かったのかしら、ねぇ、ミーちゃん」
 白い天井、淡いブルーのカーテン、部屋の奥まで射し込むオレンジ色の斜光。静かに揺れるカーテン、油蝉の泣き声。カーテンの合間から見える夕立前の雷雲。

 あれも夏。
 祐二は倉庫の屋根でいつしか寝入っていた。Tシャツも汗を吸い尽くし、夕方のそよ風が友だちのミーを捜しつかれた祐二をなぐさめていた。そよ風が吹きすぎると上空の入道雲は少年めがけて雨粒を投げつけてきた。頬に痛く冷たいものを感じ、祐二は目を覚ました。
 自宅にかけ戻ったずぶ濡れの祐二が、縁側でバスタオルに包まれながら落雷を見ていると、奥の部屋から母親の声がした。楽しそうに祐二を呼んでいる。
「祐ちゃん、ミーが見つかったわよ」
「ほら、ミーでしょ。夕立前にね、玄関の軒下に丸くなってたのよ。賢いわねぇ、ちゃんと戻ってくるなんて」
 柄がちょっと違うと祐二は思った。
「ミー、なの」
 それに一回り小さい気もした。
「探し猫のポスター、明日はがしに行きましょうね」
 新しいミーは母親の足元でじゃれている。
−ミーはそんな甘えた声で鳴かない。
 そしてママのミーは仲良しだったぼくにすり寄ったりもしなかった。
「ほら、お久しぶりの対面、祐ちゃんですよぉ」
 抱きかかえ新しいミーを祐二に渡そうとする母親。新しいミーは祐二に抱えられたかと思うと、するりと腕を抜け、ふたたび母親の足元に体をすり寄せる。
「あれ、ミーは恥ずかしいのかなぁ」
−どんな時でもミーはね、ぼくからから離れなかったんだよ。
−ママはミ—だと信じているの?
「祐ちゃん、ミーも疲れているのかしらね」
 新しいミーは母親と一緒に奥の部屋にさがり、祐二は縁側でひとりひざを抱え、雨上がりの入道雲を見ていた。すると一瞬、ほんとうにほんの一瞬、ひざを抱える右手が毛深くなり、その柄はミーそのものになった。驚くこともなく右手を見ていた祐二は、稲光で我に戻った。
−驚くほどのことはない。
 自分自身納得していると、傍らに新しいミーを抱えた母親が驚愕の表情で立っていた。新しいミーは母親の腕の中で威嚇の喉を鳴らしている。
「祐ちゃん、右手を見せて」
 母親は恐る恐る祐二に話しかけた。祐二は何のことか分からぬ表情で母親にすっかり日焼けをしている右腕を突き出す。
「何かついてるの?」
 母親はすべてを払拭するかのように首を横にふるのみだった。

 白い天井、ブルーのカーテン、オレンジ色の夕日。蝉の鳴き声、入道雲、夕立はもうすぐ。祐二は今、ベッドで目覚め、マンションの白い天井を見ながら昔のことを思い出していた。思い出すのは、ミーと母親と幼い自分の記憶。今思い出してみると奇妙な記憶だった。

(続く)
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by hello_ken1 | 2005-10-30 13:05 | B.O.D.Y.

B.O.D.Y. #8



Late afternoon light, originally uploaded by Dr. Mike.

「ミー、ミー」
 祐二は足早に歩いていた。駅前の公園に行き、神社の境内を抜け、小学校のグランドまで足を延ばしていた。ミーがいなくなって二週間が過ぎようとしている。探し猫の張り紙もした。
「母さんがミーの似顔絵を描いてあげたから、一緒に張りに行こう」
 元気のなくなった祐二を見かねて、母親が張り紙を作ってくれた。祐二は母親の手に連れられて町内に張り紙をした。
 それでもミーの消息は分からずじまいで、気がついたら今日は学校をさぼり朝からミーを探していた。そして、探す当てもなくなり、放課後のグランドに祐二は立っていた。祐二がグランドから体育倉庫の屋根に登るとグランド、花壇、中庭が一望できた。
「ここならミーを見つけられる」
 祐二は妙に安心するとゆっくりと学校の校庭を見回し始めた。花壇ではひまわりが咲いている。中庭の向こうにはプールの角が見える。汗でぐっしょりとなったTシャツも一向に気にならなかった。
 どのくらい倉庫の上にいたのだろうか。頬に冷たいものを感じ、祐二は目を覚ました。

 昨夜の涼子の濡れたまま乾かぬ冷たい黒髪が、幼いころ失踪した飼い猫のミーを思い出させたのか、それも、記憶の途切れまで。ここまで考え戻すこともなく、すっかり写真だけの存在となっていたミー。そう、涼子の濡れた髪がミーのことを思い出させた。正確にはミーのことを思い出させるきっかけになった。すべては思い出せない。ぽっかりあいた記憶の隙間があることは感じていた。でも、今までは無意識のうちにそこに触れようとはしなかったのだろう。それが今は違う。そしてそのきっかけが昨夜の涼子だ。いままでとどこか違う、右利きの涼子だ。
 軽く息を切らしている自分に気づいたときには、祐二は涼子のマンションのドアノブに手をかけていた。

「王子様って、ほんと、いいタイミングで現れるものなのね」
 祐二が意を決して涼子のマンションのドアを開けると、右手で髪をかきあげる涼子とその傍らに涼子より二回りほど小さい半透明のゼリー状の物体が床に転がっていた。祐二の両足はその部屋の雰囲気に押され、玄関より上に上がることをためらっている。
踏み込んじゃいけない。
−祐二の理性はとっさに判断した。
「全然、わかってないんだから」
−何のこと?
 祐二は理解しようと努力し始めた。でも、何に対して。
 祐二の両足は理性よりも理解しようとする気持ちの方に従い、玄関を上がり部屋へ進んだ。
−忘れろ。踏み込んじゃいけない。
−何を忘れるのさ?
−ミー、さがれ。進んじゃだめだ。
−ぼくをミーと呼ぶ、誰?
 その間も両足は涼子に近づいていった。
「あなたにはわたしがお似合いなのよ。かわいいかわいい祐二のミーちゃん」
 祐二には涼子のその言葉は聞き流された。それよりも涼子の横で床を濡らしている塊が震えているのに身震いを感じた。震える塊の中から、塊ではない塊になりきれていない突起物が全体の震えとは別に痙攣しているように見えた。
「興味があるようね、何だと思う」
 涼子は塊に近づくと突起物をつかんだ。すると塊全体はいっそう振るえ始めた。
「祐二もさわっていいわよ。そうすれば少しは理解するかな」
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by hello_ken1 | 2005-10-23 18:44 | B.O.D.Y.