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カテゴリ:黄緑色の手の女の子
「やっぱり、このお酒、苦い」 ぼくはそんなきみを見て、つい微笑んでしまう。やっぱり、きみの行動はときどき読めないや。 きみは微笑んでいるぼくに向かって、言った。 「ねぇ、もう、指輪はずしていいよ。わたしは寂しくなんかならないから。今のあなたの気持ちが変わらない限り、あの女の子の両手、そう、わたしの両手は、黄緑色なんかにはなりはしないから」 「もう少し、指輪、しておくよ」 「わたしはここにいるのよ。あなたも側にいてくれる。わたしはもう寂しくないわ」 「でも、この指輪、実は結構気に入ってるんだ」 きみはぼくの腕に、うっすらと笑いながら、すがってきた。 「ほんとは、わたし、男の人が指輪するの嫌いなの。だから、はずして。ねっ」 ほんとうにきみは、あのときの女の子なんだろうか。ぼくの心がざわめいた。指輪も少し反応した気がした。 「おねがい」 「じゃぁ、こうしよう、きみがタバコをやめたら、はずしてもいいよ」 店を出た後、きみとぼくは、こんな会話をしながら、長い並木道を駅の方に向かって歩いた。 並木道沿いにある公園では、かつてメリーゴーランドがあった所に造られた噴水が虹色に映し出されていた。そのすこし奥には、遊園地時代から唯一残っている観覧車があるはずだ。 「今度、観覧車乗りにこようか」 「うん、いいよ。でもどこにあるのかなぁ」 きみは不思議そうに、でも、にっこり大きく頷いた。 そして、並木道の先には、だんだんと駅の明りが見えてきた。 完 「でも、話は通じない。そこでその女の子は思うのよ。自分は本当に寂しいんじゃないんだと。甘えているのかも知れないって。それで、女の子は、そのうち大人になって、もうあなたに頼らなくなるの」 「どうしたんだい、きみは。ぼくに指輪をはずせって言いたいの」 きみはウエイターが運んできたぼくのおかわりを受け取って、ぼくの前に置いた。 「夢の世界の女の子に、きみは嫉妬しているのかい」 ぼくの言葉は多少なりともきつくなっていた。きみは急に寂しそうな目をし、ぼくを見つめる。 「わたしのこと、好き?」 その目があまりに寂しそうなので、ぼくは驚いた。 「好きだけど、どうしたの急に。指輪をはずすようにほのめかしたり、そうかと思うと、そんな目をする」 「わたしの考えていること、わかる?」 「ときどき判るような気がする」 「それだけ?」 それだけと問いただされても、困る。本当にときどきならよく判るのが、正直なところだから。 「いつもわたしのことを考えて。ねぇ、もっともっとよく判り合いたいと思ってる?」 それは確かに思っている。もっともっと相手のことが互いによく判り合えれば、どんなに素晴らしいだろうと。 「思ってるよ。安心していいよ。きみに寂しい思いはさせないつもりだ」 突然、きみはぼくのグラスを自分の口に運んだ。 (続く) きみは、次のタバコに火を着け、気持ち良さそうに一口吸うと、言葉を続けた。 「その女の子とは、その後どうしたの」 「お店を出たら、もういなくなっていたよ」 ぼくは氷だけになったグラスを、掌でころがしながら答えた。 「その女の子が言ったとおり、指輪はぼくの左の人差指にぴったりだったよ。そして、その子がぼくに指輪をはめたその瞬間、その子の黄緑色の両手はみるみるうちに、元の白い手に戻っていったんだ」 「その子はもう寂しくなくなったのね」 きみはそう言って、お店のウエイターに向かってゼスチャーで、ぼくの分のおかわりを頼んだ。 「そう、もう、その子にとってぼくは必要なくなったのかも知れない。お店を出て振り向いたら、その子も、入口の大きな木のドアも、なくなっていたんだ」 きみはタバコを灰皿に戻した。そして、ぼくの指輪を見つめていた。 「あなたが指輪をためらわずにしたから、本当に寂しいときには、必ず声が聞け、話ができると思って、安心したんじゃないの」 「ぼくもそう思うよ」 確かにぼくもそう思った。 「でも、もう、はずしちゃってもいいのよね」 「どうして」 「はずしても、その子には、あなたがはずしていることなんかわからないじゃない」 「でも、寂しくなったら、話しかけて来るだろう」 無神経なきみの言葉に、ぼくはいささかむっとした。 (続く) ぼくは中央の大きな木のテーブルに目をやった。確かにおばあちゃんは昔と同じ物を揃えておいたようだ。記憶の戻ったぼくには、一目見ただけでなつかしいものばかりだった。小物はどれもこれもすぐに、そしていつでも身につけられそうな物ばかりだった。
ー小物っていうよりは、ちょっとした装飾品だよな。 ぼくは思った、そして、気がついた。ぼくが飾り物を身につけたいと強く思うようになったのは、きっと、ここでの出来事を忘れたくないという心の抵抗だったんだ、と。抵抗もやがて、大人の現実主義に踏みつぶされ、抵抗するよりはいっそ何もなかったことにしておいたほうがいい。そして飾り物をしたいという気持ちさえおこらなくなったんだ。 ぼくはテーブルの上の飾り物を見ながら、つまらない大人になっている自分に歯がゆさを覚えた。歯がゆい自分を感じながら、しばらくの間、じっとテーブルを見つめていた。 「ねぇ、これにしたら」 女の子はいつの間にかぼくの側に立っていた。そしてテーブルの上からひょいと一つの指輪を取り上げ、ぼくの右手の上に乗せた。その指輪はシルバーで、左手の形をしていた。 「ちょっとしてみてよ」 女の子は妙にうきうきしている。 「いいけど、はいるかなぁ」 「だいじょうぶよ」 「なんか気味悪くないかな」 「そんなことない。左手の人差指にしてみて。きっとそこにぴったり合うわ」 ぼくは女の子の確信的な言い方に疑問をもった。 「どうしてって、思ってるんでしょう。でもきっと合うわ」 「合わなかったら?」 「ほかのを捜したげる。けど、きっと合うわ。だから、それにしよっ」 女の子の顔がとても活き活きとしていた。 ぼくは女の子の笑顔につられて微笑みながら、その子に指輪をいれてもらった。 (続く) 「黄緑色に変わらなくなったら、夢を信じられなくなったら、もうあなたには会えないって。わたしはとっても強く感じたの」 「いつでも会えると言う気持ちから、もう会えないかも知れないって気持ちになったんだね」 「あなたが駅を降りても、ここまで並木道を歩いてきても、何も思い出せなかったのは、あなた自身が夢の世界を忘れているからなのよ。でも、もうそういう歳だものね。責めたりはしないわ」 女の子は寂しそうに笑った。そしてひとつぶの、でも大きな涙をこぼした。 「ぼくはいま、ここにいるよ」 「会えてよかった。ほんとよかった。もう黄緑色に両手が変わらなくても大丈夫よ」 夢を信じることを忘れていたぼくは、今までの人生を無駄にすごしてきたような気がした。夢を信じていれば、少なくともこの女の子を泣かせることはせずにすんだはずだ。 「ところでおばあちゃんはどうしたんだい」 ぼくは自分のむなしさを、おばあちゃんの事を聞くことで和らげようとした。 「あなたが当時を思いだし、おばあちゃん、わたし、このお店を思い出せば、自分はわたしたちには必要ないって。このお店に当時と同じ飾りものを列べておくから、あなたが気に入ったものをひとつ持って行きなさいって。どんなに大人になっても当時の事を忘れないようにって。今度は必ず持って行きなさいって」 ぼくは当時かたくなにおばあちゃんの勧めを断わって、飾りものをもらって帰らなかったのを後悔した。素直に何か手にしていれば、この女の子を寂しがらせることも、自分が寂しがることも、なかったのかも知れない。 (続く) 「おばあちゃんに染めてもらったこの黄緑色の両手のおかげで、寂しいときに何回となくあなたの声を聞いて救われたわ。確かにいつもあなたの楽しいときの声ばかりじゃなかった。あなたが苦しんでいるときの声も聞くことができたわ。そういう時のあなたの声でもわたしは立ち直ることができたの。あなたにがんばって欲しいと思うことで、わたし自身も救われたのよ」 「でもぼくはあれ以来一度もきみに会っていないし、きみの声も聞いていない」 「そうかもしれない。わたしの勝手な思い込みかも知れない。でも、わたしには聞こえたの。それでわたしは時々、おばあちゃんのこのお店へ足を運んだわ。あなたにまた会えるかも知れないと思って」 ぼくは無言で聞いていた。 「おばあちゃんはわたしにこう言って聞かせたわ。まだあなたは本当に寂しくはないの。あなたが本当に寂しくなったら、あの男の子は必ずここへやって来るよ。あの子は約束を破るような子じゃないよって」 女の子は黄緑色の両手にちょっと目をやった。 「幼い頃のあなたはもっと夢を信じてた。わたしもそうだわ。黄緑色の両手を信じてた。どんなにわたしが両手を黄緑色に変えようと、周りの人にはそれが見えなかった。黄緑色の両手がわたしにも本当に色が着いているのか、わからなくなっていったの」 「今のきみの両手は黄緑色だよ」 でも確かによく見ると、女の子の黄緑色の両手は少しづつその独特な色を失いつつあるようにも見えた。 女の子はぼくの声を聞き流し、言葉を続けた。 (続く) ぼくはますます夢を見ているようだった。女の子も不思議そうな顔をしていた。 「この子がぼくの声を聞きたいと思う。この子は黄緑色に変わった自分の両手に向かって話しかける。すると、指輪をしたぼくにこの子の声が聞こえ、どんなに離れていても、声を、心を、交わすことができるんだよ」 「だいじょうぶだよ」 ぼくはおばあちゃんに元気よく答えた。 「ほんとに寂しいと思ったら、黄緑色の両手なんて必要ないよ」 「どうしてだい」 おばあちゃんはにこにこしながら、聞いてくれた。 「この子がどうしてもぼくに会いたいって思ったときには、ぼくはおばあちゃんのこのお店にまたやって来るよ。きっとここで会えるから」 おばあちゃんは女の子とぼくを抱き寄せ、言った。 「そのとおりだね。ぼくの言うとおりかもしれないね。うん、ぼくはその気持ちをいつまでもなくさないようにしておくれ。そして、大人になってその気持ちを忘れる前に、半信半疑でもいいから、また、おばあちゃんを尋ねておいで、いいかい」 おばあちゃんの身体はとてもやわらかく暖かだった。 このあと、女の子とぼくはおばあちゃんのお店をあとにした。 T字路まで向かうと、女の子の両手はすでに元通りの白い両手に戻っていた。 そしてT字路の先には女の子の両親とぼくの両親が立っていた。 (続く) どのくらい時間が経ったのだろうか、ぼくは時間を忘れて、おばあちゃんが女の子の両手を爪の先まで黄緑色に染めるのを見ていた。 「だいじょうぶだよ。この部屋を出たら色は消えるから」 少しばかり不安そうな表情の女の子に、おばあちゃんは不思議なことを口にした。 「もし寂しくなって、誰かの声を聞きたくなったら、こう言うんだよ。いいかい」 女の子はおばあちゃんの一言一句を聞き逃さないように、おばあちゃんの目をじっと見つめていた。 「両手を合わせて」 おばあちゃんは女の子の手をとり、言葉を続けた。 「黄緑色になぁれ」 一瞬きょとんとした女の子に、おばあちゃんは優しい微笑みを向けた。 「そして心の中で一生懸命思うんだよ。誰の声を聞きたいか、その人の顔や行動を思い出しながらね」 女の子は黄緑色に塗られた自分の両手を、しばらくの間、穴が開くほどしげしげと見ていたかと思うと、急に顔をあげ、にっこり大きくうなずいた。 おばあちゃんもゆっくり、大きくうなずき返し、女の子の笑顔を確認すると、また、ぼくの方に振り返った。 「男の子の手にはこれは塗ったあげられないのさ」 ぼくの心を読んでいるかのようなおばあちゃんの言葉に、正直言ってがっかりした。両手が爪の先まで黄緑色に染まるのはちょっと気が引けるけれども、寂しいときに、聞きたい人の声が聞こえるなんて素晴らしいと思った。 「ぼくには、どれか一つお気に入りの小物をあげるから、それで我慢をおし」 ぼくはさっきと同じように答えた。 「男の子はね、飾りものなんてしないんだよ」 今度はおばあちゃんが、がっかりしているようだった。 「うちにある飾りものをしているとね、黄緑色に手を染めた女の子の声を聞くことができるんだよ」 (続く)
with this hand, originally uploaded by ~Carolina~
![]() 「まぁ、ちっちゃなお客さんだねぇ」 女の子とぼくは涙も拭かないで、両親には見つかりたくないと言う気持ちだけで、頑丈そうなドアを押し開けた。 そのドアは、遊園地に沿った並木道の先にあるT字路の交差点の右手にあった。遊園地から出てしまえば見つからないだろう。でも遊園地から、両親から、はなれるのは心細かった。だから近くの何処かにちょっとの間だけ隠れるつもりだった。 「おやおや、ふたりして泣いていたのかい」 お店のおばあちゃんは言葉を続けた。 「ちがうもん」 ぼくは言った。 おばあちゃんは、そんなぼくを見て、微笑んでいた。 ぼくらは珍しい飾りものが沢山おいてあるその部屋で、おばあちゃんといろいろな話をした。 女の子がおばあちゃんとの会話に夢中になると、ぼくは部屋中を見て回った。 「ぼく、お気に入りがあったら、持ってきてごらん。おばあちゃんがつけてあげるからね」 おばあちゃんは、女の子からぼくの方に顔を向け直し、静かにやさしい笑顔でそう言った。 「うぅん」 ぼくは首を横に振った。 「どうしてだい」 「男の子は飾りものをしちゃいけないんだよ。飾りものは女の子のするものさ」 「そういうものなのかい。男の子もおしゃれしてもいいと思うよ、おばあちゃんは」 「でも、やっぱり、いい」 おばあちゃんがつけてくれても、飾りものをして帰ったときの両親の反応が、幼いぼくの首を横に振らせた。 「その子にしてあげれば。女の子に似合いそうなのがあるよ」 おばあちゃんがにこにこして答えた。 「この子に似合いそうって分かるんだね。きっとお似合いなんだ、ぼくとこの子は。でもね、この子にはおまじないをしてあげることにしたんだよ」 そう言うと、おばあちゃんは引出しの中から年季の入った筆と黄緑色のインク壷を取り出した。 (続く) ぼくは完全に、この女の子との出会いを思い出した。 でも忘れていたわけではない。昨日までぼくが持っていた思い出の記憶と違う、記憶がどこがで違っている。 観覧車から戻ると、タバコを吸っている父親といつも笑顔の母親が、ぼくを暖かく迎えてくれた。観覧車の中から自分と同じ歳くらいの女の子は見えたが、単に目に留まっただけで、観覧車から降りると、もう気持ちは大好きなメリーゴーランドに移っていた。そしてぼくは両親にメリーゴーランドをせがみ、閉園間近の遊園地のメリーゴーランドに一人で乗せてもらい、素直にはしゃいでいた。 今考えると確かに記憶がおかしいのかも知れない。遊園地の閉園間近に観覧車を降り、係の人に無理を言って、メリーゴーランドに乗せてもらう。毎回決まっていた。何処の遊園地に行こうと幼いながらに決めていた行動。 ー確かにこの記憶は何処かが違う。 そう感じながらも、もうひとつの疑問がぼくの脳裏をかすめた。 ーこの女の子があの時の女の子とは限らないじゃないか。 目の前に立っている女の子の目に、また涙がたまり始めていた。 「まだ自分の記憶を疑うの。わたしにはあなたが思っていることは聞こえるのよ」 女の子はそう言うと目に涙をためたまま、部屋の奥の小さな椅子にちょこんと座った。 「お店のおばあちゃんはもういなくなっちゃったわ。あなたにとっても会いたがってた。あなたに会いたくって、あなたとわたしをもう一度会わせたくって。何回もあなたの日をつくろうとしたのよ」 女の子は小さな椅子の上で、膝を抱えて話しだした。 「そうかも知れないね、でもさっきも聞いたんだけどさ、ぼくの日ってなんなの」 「あなたの日はあなたの日よ。でもわたしの日でもあるの。あなたは何となく電車から降りたと思ってるかも知れないけど、約束を果たしに来たのよ」 (続く) < 前のページ次のページ >
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