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海の明かり #6「あら、今夜はお子さん連れ?」 「あいさつはどうした?」 父親の後ろに隠れていた祐二は顔を上げた。次いで、薄暗いカウンターから出てくる若いお姉さんに自分の姿を見せた。父親とお姉さんは知り会いらしく、また、二人とも優しい笑顔で向き合っていた。そのふたりの笑顔が祐二に思い切りよく口を開かせた。 「海がね、真っ黒い海がね、明るくなるんだよ、まぶしくなるんだよ」 「そっかぁ、きみは海を見てきたんだ」 「毎朝食べる海苔の匂いがするんだよ、知ってたぁ?」 父親は祐二の頭を大きな手で押さえつけた。 「まず、こんばんは、だろ、祐二」 父親の大きな手は優しく祐二の頭を撫でまわした。祐二はこんなに優しい父親に接するのは初めての気がした。 「こんばんは」 ちょこんと頭を下げた。 「こんばんは。きっと日の出の海を見てきたんだね、祐二くん」 今度はお姉さんの香りが祐二を包んだ。母親の香りとも学校の担任の先生のとも違う、甘く若々しい初めて知る香りだった。祐二はその瞬間、海の香りの次にお姉さんの香りが好きになっていた。その香りのお姉さんが祐二の目線に彼女自身の目線の高さを合わせて、話を聞いてくれるのがうれしかった。 昨夜、玄関で父親と会うまで寝付けなかったこと。海と近所の川を比べていたこと。砂浜に足を踏みいれたとき朝ご飯の海苔を思い出したこと。波打ち際の濡れた砂が素足にくすぐったかったこと。そして、真っ黒な海が恐かったこと。 祐二は父親が止めなければその立ったままの姿勢で、閉店まで話し続けていたことだろう、まだ店は始まったばかりだというのに。 「でね、遠くの灯台がぼくたちを照らしたんだよ」 「ちゃんと聞いてやるから、椅子に座って落ち着いて話しなさい。お姉さんにいつまでその姿勢を取らせておくつもりだ」 ふと祐二には父親が妙にお姉さんに対して優しく映った。 「気にしなくていいよ、祐二くん」 お姉さんは少し伸びをするようにして、自分の視線の高さの世界に戻った。 「こっちのカウンターに座りなよ、ねっ」 祐二と父親はカウンターの一番左奥の席に腰掛けた。その二人の前にお姉さんはウィスキーをそっと注いだ。 「こんな香りがしたのかな?」 お姉さんが祐二に香りの質問をしてきた。 「うん、そう」 「朝ご飯の海苔とどっちのにおいに似てる?」 「こっち」 祐二は迷わず答えた。お姉さんは祐二からそれを聞くと満足そうに微笑んだ。 「そうだよね、このお酒は海の香りがするよね」 横でその会話を聞いていた父親も、グラスの香りを鼻先で確かめると、ショットグラスを一気に空けた。 「ボウモア。そういう名前のお酒だよ、祐二くん」 「これってほんとに海の香りでいっぱいだね。ここに海があるみたい」 祐二の先ほどまでの興奮した饒舌はぴたりと止まり、このあとは、しばらくの間、じっとグラスだけを見つめ続けていた。 (続く)
by hello_ken1
| 2006-02-18 15:48
| 海の明かり
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