今は「Midnight Zoo」と「きみのもしもし」を掲載中
by hello_ken1
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B.O.D.Y. #13



dinning, originally uploaded by hello.ken1.

 階段から足音が響いてくる。廊下をこの部屋に向かっているようだ。声も聞こえる。大声で説教しているのは父親。母親の返答は父親の声にかき消されて、祐二には聞き取りづらい。
「いつまでミーの死骸を家の中に置いとくつもりだ」
「お前が不憫だから口にしないでおいたが、祐二が戻ってきたからもう言ってもいいだろう」
「もうミーの死を受け入れて納得してもいいころだ」
 二人の足音はドアの前で止まった。
「ミーは死んでなんかいません。ミーは祐二なんです。祐二はわたしの子供です。子供がわたしを一人残して死ぬわけがないでしょう」
 母親の絞り出すような鳴咽がドア越しに響いた。
「祐二、入るぞ」

 夫に腕をつかまれ、強引に連れてこられた母親が急に静かになった。親父はそんな彼女を怪訝そうに見ながらも部屋中をとりわけベッドの周りに注意を注いでいた。
「ミーはどうした」
 親父の疑いの声。何を疑っているのだろう。祐二は不思議に思った。
「ミーの死骸はどうしたんだ」
 祐二は母親の表情を確かめる。彼女の目には夫も祐二も映っていない。うつろな表情で祐二の存在が消え失せていることを確信していた。
「どこにやったんだ」
 祐二の方が尋ねたい気持ちだった。
—まだぼくは記憶を受け取っていない。
「祐ちゃん、もう、あなた一人しかいないのね」
「入れ替わる前の記憶がまだなんだ」
 祐二のからだを抱きしめに母親が一歩一歩近づいてくる。
 親父がお袋に向って何か言っている。何万光年も離れた星から届く声。祐二にも母親にも届かない。
「ミーが死んだの。ミーがいなくなったの。誰もいままでそんなことは言わなかった。でも」
「でもさ、薄々知ってたんだろう。認めたくなかっただけなんだろう」
「ミーが死んだの」
 つっかえ棒のなくなった母親が祐二の体に触れてくる。
「あなたに会いたいなぁって。成長した息子に会いたいなぁって、思ったの」
 祐二は、幼い少女との会話に似ているなぁ、と思った。
「そうしたら次の日ミーが動かなくなってて。冷たくなってて。今度はミーの中の祐二まで」
 母親はミーの死を知っていた。自分のせいだと悩んでいたのか。祐二は母親を抱きしめた。震える母親を愛している気持ちを込めて抱きしめた。
「ミーは生きてる。ミーは生きてるってずっと自分に言い聞かせてたの」
 祐二は思った。ミーの肉体が死んだのはお袋とは関係ない、ただ偶然彼女のもうひとりの息子に会いたいという気持ちをもった日に重なっただけ。それよりもミーの精神の復活こそはお袋の愛情、死んではいないと自分に言い聞かせた成果。そんなお袋を悲しませないために記憶をぼくに渡そうとした祐二の精神。ミーの、祐二の精神が存在できたのはお袋のミーの死の否定なんだ。
「祐二、ミーの死骸はお前が片づけたのか」
 ぼくの帰宅を機にミーの死をお袋に認識させようと決心した親父はきっと正しいのだろう。親父もきっかけを待っていたに過ぎない。それはぼく。祐二は父親を憎む気持ちはなかった。
 しかし、すんでのタイミングが祐二にとってもミーにとってもよくなかった。まさに記憶を受け取ろうとしていたとき。ただ歯がゆい思いが一瞬、ほんの一瞬、祐二の全身を包んだ。
 とっさに、であろうか、母親は祐二を包むようにもう一度抱きしめた。祐二を一瞬でも支配した父親へのはがゆい感情をなだめるかのように、母親は祐二の耳元でささやいた。
「生まれたままの姿で一生を過ごせるものなんていないのよ」
 一呼吸置いた。
「みんなどこかで入れ替わってるんだから。大多数が忘れているだけなんだから」
 母親のその一言で、父親の執拗な問いかけが、祐二にははるか彼方に聞えてくる。母親のやさしい笑顔が祐二の視界を覆う。左手に親父の服を着た見知らぬ誰かが立っている。目の前には和服に身を包んだ母親がいる。母親は母親のままで祐二をやさしい笑顔で包んでいる。
 祐二の記憶はここでとぎれた。
「祐ちゃん、祐ちゃん」


続く
by hello_ken1 | 2005-11-27 23:16 | B.O.D.Y.

そのひとの娘のぼくの呼び方 part 2



, originally uploaded by Paula Wirth.

「じゃあ何て呼べばいいのかな」
 ぼくのその問いにそのひとの娘は通りの日溜まりに視線を移し、目を細めた。
「何て呼ばれたいの」
 ぼくはその視線に割り込むかのように、もう一度聞いてみた。
「わたしを何て呼ぶかはあなたが決めていいのよ」
「えっ」
「わたしをどう呼ぶかはそれを口にするあなたに決めてほしいな」
 胸が少しキュンとした。忘れていた新鮮な感覚。でも不思議な感じ。名字でも名前でも、そのままでもいじっても、きっと以前の誰かがそう呼んでいた呼び名に行き着きそうで、ぼくの頭の中でそのひとの娘の名前が飛び回った。漢字、ひらがな、ローマ字、カタカナ、どれもなんとなくしっくりこない。オリジナルっぽいのも出てこない。そのひとの娘をイメージできなくなってくる。
「ねぇ、難しく考えちゃってるでしょ」
 通りの日溜まりを見ていたはずのそのひとの娘の視線が、いつの間にかぼくに向いていた。
「うん」
 ぼくは正直に頷いた。
「そうだね、やっばりきみのこと、きみでいいかな」
 そのひとの娘は陽射しに包まれたまま目を細め、静かに微笑んでいた。
by hello_ken1 | 2005-11-27 00:38 | そのひと

B.O.D.Y. #12



Emma Inside 1, originally uploaded by Ballard Blog.

 しかし、そこにミーはいなかった。
 敷布団に窪みはある。ミーの気配も残っている。でもミーそのものは祐二の目には映らない。
「いるんだろ、ミー」
「いるよ」
「からだは」
「すでに朽ちてるよ」
「なんで成仏しない。どうしていなくならない」
「きみに会う前に成仏したら、一生きみはぼくになれない」
「ほんとにぼくはミーなの」
「そうさ。だってきみにはぼくと会う以前の、ここにもらわれてくる以前のこの家族の記憶はないだろう」
 祐二が触れるのを避けてきた自分の記憶。観覧車以前の完全な思い出。家族旅行の思い出。アルバムには残っているがどうしても思い出せない記憶。でも、ミーとの思い出、それだけは祐二には鮮明に残っていた。
「そんな中途半端な、不完全な祐二を残してこの世界からは去れないよ」
「ぼくがもともとミーなのは、誰が知ってるんだ。お袋は知ってるのかい」
「あぁ、お袋はミーがいなくなったときから知っている。わかってしまうのは仕方がないじゃないか。ミーが関わっている記憶以外はきみにはないんだから。でもそれよりもお腹を痛めて生んだ母親の直感だろうな」
「ほかには」
「きみは十分に順応性があったんじゃないのか。気づいているのはお袋だけだよ。気づいても半信半疑、そこにミーが戻ってきた」
「でも微妙にミーとは違っていたよね」
「入れ替わりの影響だろう。祐二のもともとの剛毛もさらさら髪になってたしね」
 祐二は涼子を思い出した。涼子の利き腕。確かに今の涼子は左右が逆になっている。
「でも、そんなん誰も気にしないよ。はじめはあれっ?って思ってもいつのまにか昔からそうだったと思うようになる。そんなもんさ」
 涼子と同じことを言っている。
 今の涼子も入れ替わり。今のぼくも入れ替わり。
 涼子は涼子のすべてを吸い尽くし、涼子の世界に違和感なくは入り込もうとしている。
 ぼくはただ思い出せない怖さで、かつての記憶に触れるのをずっと避けてきた。
 祐二は整理しようと試みた。
 親父はぼくを祐二だと疑わず、お袋はミーを見つけてきてもぼくをやさしく育ててくれた。つらかったかもしれない。本当の子供は猫となり、拾われてきた猫がお腹を痛めた子供の肉体にとりついている。
「感情が理解するまでにやっぱり大変だったよ」
「お袋のこと?」
 
 毎晩のことだった。洗い物がすみ、家族全員が入浴をすませテレビに夢中になっていると母親はミーと一緒に縁側に出ていた。
「ミー、あなたは祐ちゃんでしょ」
 ミーは母親の腕の中でその度のどを鳴らして耳をこすりつけていた。
「祐ちゃんがミーなのよね」
 夜空を見上げる母親の頬には時折光るものがあった。
「でも、祐ちゃんは二つに分かれたけれど、どっちもこうして今そばにいるのよね」

「お袋はお門違いの恨みをミーにもたなかった。ミーがぼくにとってとってもいい友だちだってことを知ってたからね」
「でも」
「うん、母親としては耐え難いよね」
「ああ」
「その上、下手したら息子の死に目に二度も遭遇するんだよ。間違いなく寿命の短いミーの肉体で一回はね」
「そしてすでに一回目は訪れたってわけか」
「そうとも言うし、そうじゃないかもしれない」
 ミーの肉体から解放された祐二の精神は、現在の不完全な祐二に過去の記憶を伝えるために意志の強さだけでこの世界にとどまっていた。宿題をやりたくなかったが為に飼猫と入れ替わってしまった祐二。何も宿題だけじゃない。その要素は随所にあったと元々の祐二は考えるようになっていた。
「お袋にはぼくの姿が見えるらしい。見えるっていうよりも、姿を感じるのかな。でも、そろそろ限界だろう。親父はこの部屋には入りたがらないけどミーの実の姿をここのところ見てないからね。親父がひとことミーは死んだとお袋に言えばお袋の細いつっかえ棒も折れてなくなるだろう。そのことを想像したくない。お袋の取り乱すのを見たくないんだ。人に言われて気づくってそんな辛いものはないよ。まぁそれでなくても長生きし過ぎなんだけどね」
 祐二にもミーの姿は見えないが目の前に存在しているのは確かに感じている。この感覚に過去の視覚がだぶっているのか。祐二はお袋が哀れにも感じられた。
「ぼくの存在をミーに託すよ。過去の記憶から今日までのこの家での記憶まで」
「そうすればお袋は」
「うん、息子の半分を失うことなくミーの死を受け止められると思う」
「そしてぼくは順応してお袋の完全な息子になれるのか」
「たぶんね。ミーの肉体がなくなっている今となってはこれがベストの方法だろう」
 祐二は思った。
 ミーの中の祐二も本当は元の人間の肉体に戻りたかったのだろう。それはそうだろう。それが本来の姿だから。ミーの肉体がなくなってなかったら。老いぼれの肉体が、死期を目の前に控えた肉体が今ここにしがみつくように残っていたとしたら。ぼくはそんな先の見えすぎている肉体に戻らされるのか。
 すでに肉体の存在しないミーが今の祐二の心の思いを聞き取り、すべてを理解しているような、そんな笑顔が祐二をつつんだ。目の錯覚でもない、そのとき祐二には確かにミーが見えた。
「そんな都合のいいことは起きないよ。結局、試せなかったけどね。お願いは一度きりってわけだろう、ふつう。神様もそんな暇じゃない」
「ぼくの思っていることがわかるの」
「きみの忘れている猫の、いや、きっと動物の能力のひとつじゃないかな。気持ちが読める。コミュニケーションの手段だろう」
 そして、ミーが動いた。
 祐二の足元に擦り寄ってきた。
「きみが来てくれたんで安心したよ。もうこれ以上、気を張ってここに」
 ミーの声が途切れた。いきなりテレビのスイッチを切ったような、そんな切れ方だった。フェードアウトではない。スパッと切れた。その瞬間から足元にも気配は感じない。祐二は心臓の鼓動が激しくなるのを感じた。視線を部屋全体に広げるが、ミーの気配はない。ベッドの上にもない。祐二は不安になった。記憶をまだ受け取っていない、なのに。部屋には呆然と立ち尽くす祐二だけが存在していた。
by hello_ken1 | 2005-11-20 11:50 | B.O.D.Y.

そのひとの娘のぼくの呼び方



Pike 3, originally uploaded by tomusan.

「きみはね、わたしのこと名字でも名前でもなく、あなたって呼んでいたんだよ、付き合い出した頃は」
「まぁ今でも名前で呼んでくれないけどさ」
「真面目な顔してさ、キスした後も、あなたって。可笑しくもあり、じれったくもあり、だったなぁ」
「ほんと、いつ頃からかなぁ、きみって呼んでくれたのは。きみもきっと覚えてないよね」
「わたしも気づいたときには、きみにきみって呼ばれるのに違和感なくなってたし」
「知り合ってから、ずっと、きみにきみって呼んでもらいたかったんだけどね」
「せっかくきみって呼んでくれるようになったのに、記念すべきその日がわからないなんて、わたしもわたしだわ」
「そう、きみにきみって呼ばれるのってちょっとセクシーでぞくぞくって感じなの。背中のあたりで感じるの。わかる?」
 そのひとの娘は暖かそうな陽射しを見ながら、ぼくにそんな話をし始めた。たしかにそのひとの娘を名前で呼んだ記憶がない、改めてそのとき、ぼくはそう思った。
by hello_ken1 | 2005-11-20 00:36 | そのひと

B.O.D.Y. #11



mila and my coat, originally uploaded by Roweun.

 祐二の部屋のドアには猫の出入り用の小さな出入り窓が新たについていた。
−最近つけたんじゃないな、これは。上京した後、きっとミーのために付けたんだ。どうしてミーはそれほどぼくの部屋にこだわったのかな。
 祐二は自分では回答の出せない問いかけで頭が一杯になった。
 祐二がこの家にいるときはミーは決してこの部屋には近づかなかった。以前のミーとはそこからして完全に違っている。出入り窓があったとしても通ることはなかっただろう。
 そのドアが静かに開いた。
「やっぱり戻ってきたのね」
 そこには母親が立っていた。
−すこし痩せたのかな。色も白い。
 それが祐二の第一印象だった。
「夏休みでね」
「うぅん、わかっているわ」
「なんのこと」
「母さんはね、何も言わないから」
 母親はドアを開けたまま廊下まで出てくると、祐二を見、部屋に視線を移し、また祐二に振り返った。
「中であなたが待ってるわ。お入りなさい。母さんはもう疲れたから自分の部屋に戻ってる」
 母親がすれ違ったとき彼女の疲労が空気伝いに祐二に伝わってきた。疲労と言い切るにはあまりにも重い空気だった。
 祐二は母親が開けてくれたドアからそっと中を覗いてみた。窓際の自分のベッドにふくらみが見て取れた。
—きっとそこにお袋のミーはいるんだ。
 そこにいることがわかれば何ら臆病になる必要はない。
 祐二は自分に言い聞かせながら、かつては自分の安住の地であったベッドに足を運んだ。この時の祐二はかわいい小猫のままのミーを想像していた。

 窓際のベッドに歩み寄って行くと、祐二はその周りが懐かしい空気であふれていることに気がついた。空気の香りが、空気の肌触りが、空気の濃度がすべて、祐二には懐かしかった。
「ミー」
 祐二は、何も怖がっていない優しい声になっている自分を感じた。
「やっと来たね」
 ベッドのふくらみからミーの声が聞こえた、そう感じた。
「うん、気になって戻ってきたんだ」
「でも、会えると思ってた?」
「いや、意外だったよ。思い出をひも解こうとだけ思ってたからね」
 ふくらみが動く。そのとき、祐二は一瞬、身が固まる思いがした。
「こんなにミーが長寿だとは正直、驚いているよ」
 ミーは動きを止めた。ふくらみはそのままの形で固まっている。
「ミー、姿を見せてよ」
 身構えている。ふくらみの形が変わった。
 祐二は手元にあった椅子をベッドサイドに引き寄せ腰を下ろした。ミーのふくらみから緊張の糸が消えたのがわかった。
「長生きの理由を考えたよ。そしてどこかできみがぼくを生かしていると思うようになった。きみだけじゃなくぼく自身もそうしたくなった」
「ぼくがミーを?」
「正確にはミーがぼくをだ。祐二の体で生きているミーが、ミーの体にいるぼくをだ」
「祐二の体で生きているミー?ぼくのこと?」
「そう、人の体を持った猫」
 漠然としていたものが少しずつ晴れてくる。でも、祐二は晴れてもらいたくない気持ちも強く感じていた。ここまででこの部屋を出ればいい。何もなかったことにすればいい。そんな思いが祐二を包み込む。
「あのとき時間がなくてコピーできなかったぼくの、祐二の知識を取りに来たんだろう。完全な祐二になるためにね」
 わかっていたことかもしれない。ただ、自分がもともと人間ではなかったことを認めたくなかっただけなのかもしれない。認めると自分が自分でなくなる。そんな恐怖から逃げていただけかもしれない。でも、こうして立っているぼくは人ではないのか。
 祐二は自分が何をすればよいのか、分からなくなってきていた。
「わからないよっ」
 祐二は胸が苦しくなる恐怖を覚え、その恐怖を払拭するかのようにミーにかかっている掛布団を力任せに取り除いた。
by hello_ken1 | 2005-11-12 15:05 | B.O.D.Y.

そのひととそのひとの娘のポラロイドカメラ



green w/morning sunshine, originally uploaded by hello.ken1.

「ポラロイドカメラって使ったことあるかい」
 そのひとは会話の腰を折るように違う話題を口にした。
「撮ったことないわ」
 そのひとの娘はいつものそのひとの割り込み方にため息半分で生返事をする。
「あのひとの忘れ物なんだけどさ」
「あのひとって」
「あのひとはあのひと、あなたのパパに決まってるじゃない、まぁイヤだわ、この子ったら」
ーママが照れている、あやしい。
 そのひとの娘はそのとき、そう思ったと言う。
「最近ポラロイドって流行ってるって雑誌に書いてあったからさ」
 ソファーの後ろから、目の前に唐突に出されたその四角い箱。前もって準備していた手際のよさだった。
 でも、そのひとの娘が手に取るよりも早く、そのひとは四角い箱を自分の手元に引き戻した。
「こうやるとファインダーが出てくるのよ。そしてこうやってここから覗くの」
「へーコンパクトにできてるんだね」
ーあれっ返事がない。
「どうしたの。どっか壊れてるの」
 そのひとはファインダーに目をつけたまま、軽く首を横に振った。
「そうじゃないわ」
 一瞬、時間が止まった。そう感じた。そのひとも動かない、そのひとの娘もそんなそのひとを見つめている。
「あなたのパパもこうやってあなたやわたしのことを見ていたんだなあってさ」
 そのひとはさみしそうに、でも懐かしさをたたえた表情でにっこりと微笑んだ。
 そして、そのひとの娘にポラロイドカメラを手渡した。
「ねぇ覗いてごらんよ。なんだか風景がやさしく見える気がするよ」
 そのひとの娘はカメラを手にとってファインダーに目をつけた。
by hello_ken1 | 2005-11-12 00:35 | そのひと

B.O.D.Y. #10



玄関, originally uploaded by hello.ken1.

 夏も終盤になり、朝夕の風がとき折り肌寒く感じるころ、祐二は夏休みとして田舎に帰ることを決心していた。
 この頃には涼子は以前の涼子ではなく、すでに新しい涼子が周りの友だちに溶け込んでいた。戸惑いがあったのは、ゼリー状の涼子を目の当たりにした祐二だけに思えた。確かに涼子が自信たっぷりに言っていたように、誰一人、右利きの涼子ましてや腿のほくろなど、気にも留めなかった。周りのみんながあえて気にしているとすれば、それは涼子と祐二の関係だった。
「喧嘩でもしてるのぉ」
「そんなことないよ、ちょっとだけ祐二が最近冷たいだけ」
「そうなの祐二」
「い、いや、、、最近の涼子にとまどっているだけだよ」
「変なの?わかんないなぁ。涼子はなんにも変わってないよ」
「うん」
「祐二がそんなんだったら、俺が涼子にアタックしてもいいわけ」
 曖昧なまま会話を続ける祐二。何も気づかない友人たち。そして、そんな祐二を見ながら勝ち誇ったような表情を裏に隠して微笑む涼子。
「でもさ、最近涼子はやたらと活動的になったと思わない。夏前まではさ、おしとやかな印象強かったじゃん」
 祐二のささやかな意思表示。無駄な抵抗。
「それってぇ、ふつう、性格が明るくなってよかったって言うんだよ。社交的になったって言うか。いいことだよ」
 みんな、新しい涼子の味方。
 涼子が覗き込みながら祐二に言う。
「夏暑かったから、祐二、疲れてるんだよ」
−まだ納得してないようね。あきらめてないって言うのかしら。
「夏休みもまだとってないし」
−しばらくいなくなったらどう。めざわりなのよ。
「田舎にでもちょっと帰ってきたら」
−わたし、猫は嫌いなの。
 みんなには決してみせない新しい涼子の高飛車な目つきもさることながら、祐二は自分とミーの記憶もたどってみたい強い欲望にかられはじめていた。
 ミーと自分、新しいミー、母親。
 そして、祐二は夏休みをとって帰郷することを決めた。

 実家に戻ってみると、母親は祐二の部屋にいた。父親の話だとここ二週間は祐二の部屋にこもりっきりだと言う。自分の部屋に行く前に父親と一言、二言言葉を交わした。
「ぼくの部屋に何があるの」
 父親は困り果てた顔つきで答えてくれた。
「何があるって言うわけじゃない。いるのさ。大往生寸前のミーがね」
 祐二は驚いた。ミーがまだ生きていた、母親のミーではあるが、ミーと呼ばれている猫には違いない。そのミーがまだいた。幼いころに母親がミーだと言って連れてきた小猫。母親にばっかりじゃれていたミー。
「なんでぼくの部屋なんだ、お袋の部屋もあるだろ。もともとお袋の部屋が住処なんだからさ」
「なんで?と言われてもなぁ。こればっかりは解らないよ。単にお前が上京してからはあいつの部屋ではなく、ずっとお前の部屋に住みついてたからな」
 祐二は階段を上りながら、親父の言葉に考えを巡らせていた。
—なんでぼくの部屋なんだ。ぼくが上京してからぼくの部屋。ずっとぼくの部屋。
 廊下の一番奥の突き当たりの部屋が祐二の部屋だった。それは変わっていない。階段を上ったところで祐二は立ち止まった。何があの部屋で待っているのだろう。自分の存在が恐かった。あの涼子は涼子の部屋で言った。祐二の覚えている、彼女との二人っきりの最後の台詞。
「よほど用心深かったのかしら、ねぇ、ミーちゃん」
 あいつはぼくのことをそう呼んだ。ミーちゃん。観覧車でのミーとの記憶。そのあとの断片的な記憶、祐二は混乱していた。
by hello_ken1 | 2005-11-05 11:11 | B.O.D.Y.

そのひとの娘と忘れていたバロメータ



blue, originally uploaded by elizz.

「唇をブラシで塗るところかな」
「えっ」
「だから、スティックタイプで口紅を塗るんじゃなくてね」
 これでもそのひとの質問と言う名のリクエストに合わせて答えたつもりだった。
「ペンシルは使わなくてもいいから」
「へー、男の子なのに妙なところを見ているんだね」
 そのひとが聞いてきたのは、こうだった。
「女の子のどんな行為が、きみをそそるのかな」

 当時のぼくはそのひとの興味津々の問いかけに、悩むことなく、さらりとそう答えていた。

 その数日後、カフェの日溜まりになっているテラス席でふたり、珈琲を味わっていると、そのひとの娘がハンドバックから数個の化粧品を取り出した。
「こういう仕草、そそられるんでしょう」
 意味深な言い回しの後、ブラシを使って口紅を整えるそのひとの娘。
「ママから聞いたの。男の子は妙なところを見ているんだって」

 今だともうそんな仕草も気にしなくなったぼくがここにいる。
 そう言えば、あの日、そのひとの娘に言った言葉。
「キスしたいって思うかが、その子を好きかどうかのバロメータなんだよね」
 写真を整理していたら、そのひとの娘の唇の写真が出てきたので思い出した記憶。
ーそんな大事なことも忘れていたよ。
 ぼくはそのひとの娘の写真に向かってひとりつぶやいた。
by hello_ken1 | 2005-11-01 00:32 | そのひと

そのひとの娘と唇を重ねる



Kuru, originally uploaded by Shoosh.

「きっとそれほど好きじゃないと思う」
 唐突だった。
「ママのほうがきっとあなたのことを好きなんじゃないかなぁ」
「でもぼくはきみのことが好きだよ」
 戸惑ってしまう。
「恋い焦がれるほどじゃない、でしょ」
「じゃあ、このキスはなに」
 そのひとの娘の唇にぼくの唇を重ねてみる。
 唇を離し、少し見つめあってまたすぐに唇を重ねる。今度はもっと深く。
「でもちょっと違う」
 なにと、誰と比べて、なにが、どう、違うのだろう。
「そんな気持ちになったことない?」
「どんな?」
「好きなんだろうけど、もしかしたらそれほどでもないなぁって」
 そのひととはそんな関係でもないし、そのひとの娘もそのことはわかっているはず。
 でも、ぼくの脳裏にそのひとがちょっとだけ浮かぶ。
「どうしたいのかな」
 また軽く唇を重ねる。
「どうしたいってわけでもないの」
 今度はそのひとの娘から唇を重ねてくる。
「なんとなくそれほど好きじゃないと、ふと思っただけだから」
 そのひとの娘は真っ白のシーツを鼻の上まで引き上げると、いたずらっぽくぼくをみつめた。
by hello_ken1 | 2005-11-01 00:31 | そのひと